月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2005年12月15日(木) ひっかかり

年末のあわただしさに、追われるように日々をすごす。
普段の家事や子どもたちのことに加えて、工房での手伝いや年末のさまざまな用事が山積して、アップアップしそうな一日。今朝も風が強くて、山の落葉がひとしきり。工房の庭の落ち葉掻きもたまっている。アプコの迎えの時間もまだまだ絶対厳守だ。
なんと言うこともない瑣末なことにいつも追い立てられているような気がしてくる。
そんななかで、時折感じる「ひっかかり」。
たとえば、治療中の歯のことだったり、冷蔵庫の中の賞味期限の近いお豆腐のことだったり、この間からふたたび調子の悪いパソコンの事だったり・・・。ことさらに今それをどうするということでもないけれど、何かの折に心の隅っこに引っかかっていて、触れるたびチクリと痛くて、だから普段はどこか見えないところに放置しておきたくなるような、ごくごく小さな不安や嫌悪。
忙しくなると、そういうわずかなひっかかりの積み重ねがたまらなくうっとしくなって、わぁっと吐き出してしまいたくなるときがある。

今日の工房での手伝い仕事は、干支の置物の釉薬がけ。
素焼きの終わった作品に水釉(薄めた釉薬)を塗り、その上から透明釉を刷毛で塗る。これは長年ひいばあちゃんがこつこつとやってきた仕事だが、今年になって、比較的失敗の少ない透明釉の釉がけをひいばあちゃんの代わりに任せてもらえるようになった。
刷毛にたっぷり釉薬を含ませて、手早く刷毛を動かして釉薬を塗る。塗ったそばから乾いていく釉薬がけでは塗り斑がでないように手早くやることが肝要だ。最近ではそのコツのようなものが少しつかめてきたようで、作業自体はとても楽しい。
釉薬をかける前に、素焼きの作品を一つ一つ検品して、細かな部分に残った小さな削りカスや微細な傷をやすりやナイフで落としたり、素焼きの粉を入れて修復したりする。その検品の作業の中で時折、振るとからから音の出る作品が出てくる。
置物は中が空洞状に作られていて、底の部分に小さな空気穴があけられているのだが、「からから」という音はこの空気穴を開けたときの削りカスが内部に落ち込んで残ってしまったものの音だ。
この「からから」自体は別に品質上の問題にはならないのだけれど、やはり気にかかるので本焼きの前にはこの削りカスは空気穴から抜き取ることになっている。
抜き取るといっても特別な方法があるわけではない。
ただただ闇雲に作品を上下に激しく振り回して空気穴から偶然かけらが飛び出すのを待つのである。空気穴の大きさは立ったの直径5ミリ。そう感嘆にはかけらは取れない。
何百回振れば取れるという保障があるわけでもないし、そうかと思えば偶然数回振っただけであっけなくかけらが零れ落ちることもある。
ただ振り回すだけという原始的な手法に倦んで、両面テープやら掃除機やらいろんな新兵器を持ち出して試みてみたけれど、結局どれもたいした効果はなくて、再び原始的な方法に戻ってくる。
くだらない些細な作業だが、時にはどんなに長いこと振り回していてもいっこうにかけらが吐き出される気配がなくて、イライラしてしまうこともある。
こうなるともう、どんなに手が痛くなるほど振り回しても、絶対に終わらないような憂鬱な気分になってくるので、「からから」の作品は後回しにして他の作品の釉薬がけに取り掛かることにする。
次々に水釉をかけ、重ねて透明釉をかけていくのだが、その合間にもさっき脇に置いた「からから」がなんとなく心の隅に引っかかっている。釉薬がけの合間に、再び「からから」を手にとって見たり振ってみたり。何度屋やってもこぼれ出てこないかけらに再びイライラを募らせながら、作業を進める羽目になる。

これって日常生活の中でいつも心に引っかかっている小さな不安や心配事にちょっと似てるよなと時折思う。
うっとおしくて仕方がないから普段は脇に除けているつもりなのに、時々わざと引っ張り出してきてはイライラとする。
いつか正面対決することはわかっているくせに、できたらなかったことにしてどこかみえない所に放り出しておきたくなる。
イライラに任せて力任せにふって見てもどうにもならないくせに、何の気なしにコトンと振ってみるとあっさりと小さな素焼きの粒が偶然零れ落ちたり・・・。
ああ、ほんとに人生なんてこんなものよと気を取り直して、からからと乾いた音のする作品を再びふってみる。

今日の分の「からから」は格段にしぶとかった。
何度も何度も振りまわして、「もう、無理。やぁめた」と投げだしたい気持ちになったとき、ちょうどそばを父さんが通りかかった。
「これ、絶対に出ないよ。」と作品を父さんに手渡す。私のうんざりとした口調にそれまでの苦戦を察した父さんが「どれどれ?」と代わってくれた。
カランカランと乾いた音が数回繰り返して、「ほんとにでないね。」と父さんが相槌を打ったその瞬間、ピチッと小さな音がして空気穴から小さなかけらが零れ落ち、工房の床に転がった。
「あ、とれた。」
あれだけ何百回振っても出なかったかけらが、通りがかった父さんの数回のアクションであっけなく転がり出た。
「よかった。出たね。」
と父さんが作品を再び私の手に返してくれた。

「ああ、すっきりした。」といいたいところなのだけれど、なんだかちょっと腑に落ちない。あれだけ苦労していたのに、最後のいいところだけ父さんに持っていかれたようでちょっと悔しい。
結局、執行猶予のままに抱え込んだ心配事や不安も、一つ一つ自分で解決をつけていかなければ、「ああ、すっきりした。」とあっさり荷物を減らすことにはつながらないということか。
ああ、面白くない。


月の輪 |MAILHomePage

My追加