月の輪通信 日々の想い
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2005年12月05日(月) 堪らない

広島に続いて栃木。
どちらもアプコと同じ小学校一年生。こんな小さな生き物を何故「殺したい」と思うことが出来るのかと、殺人者の心の闇の深さを怖れる。
引き続いて長野で、ゲンと同じ5年生の少年の行方不明。母親や妹との散歩中、兄弟げんかで叱られたあとのことだという。子どものいる家庭なら、どこにでもありそうな日常の一コマ。
子どもたちが自分の手の中に戻ってくると思っている母にとって、突然わが子が帰ってこなくなる、そのことの恐怖や悲しみはどれほどのものだろう。
TVのニュースやワイドショーでエンドレスで流れる子どもたちの悲報に、鬱々とした怒りや晴れることのない不安、胸が苦しくなるような恐怖が、心の中に静かにたまっていくのが判る。
堪らない。

昼過ぎ、いつものようにアプコを迎えに出る。
アプコの通学路は、学校を出てすぐに友達と別れて一人で歩く一本道。
一キロちょっとの道のりのほとんどが雑木の中のハイキングコース。シーズン中にはある程度ハイカーが通るが、今日のような寒い日には人通りも少なく寂しい道だ。栃木の女の子の通学路と条件はよく似ている。
オニイやオネエたちの時には、一年生になってしばらくするとこの道を一人で下校して来ていたものだが、アプコは1年生の2学期が終わりに近づく頃になってもなかなかお迎えの習慣がやめられない。最近の時勢では、たとえ街中でも幼い子どもの一人歩きは不安で仕方がない。
欧米では、小学生の登下校には親の送迎が義務付けられている国もあると聞く。日本もそういう国になってきたということか。いやな世の中だなぁと思う。

校区では地域のボランティアの方が、子どもたちの下校に合わせて立ち番やパトロールをしてくださったり、防犯ベルの配布が行われたりして、子どもたちの安全を守る対策もとられている。けれども、一人一人の子を校門から玄関まで送り届けるわけには行かないし、立ち番に割ける人数も限られている。
ここ数日、子どもの下校時間を見計らってわが子を迎えに来る保護者の数がずいぶん増えた。どなたも皆、報道される事件の詳細をわが子に重ねて、いたたまれぬ思いで「お迎え」に出てこられるのだろう。
先日、某先生とお話をしていたら、「今以上の対策はもう学校単位では限界ですよ。」という言葉が漏れた。
何か事件が起こるたび、学校や行政の対策の不備や危機管理の甘さが問われるけれど、結局のところ「自分の子どもは、自分で守る」ということにつきるのかもしれない。
親も、学校や地域社会に対策を期待するばかりではなく、家事や仕事の時間を犠牲にしてでもわが子を守る覚悟がいるのだろう。

「おかあさん!あたし、もう一年生だから、お迎え来なくても一人で帰れるのに!」
降り積もった落ち葉をザックザックと蹴散らしながら、アプコが屈託のない笑顔で振り返る。あっという間に先に立って走り出すアプコの背中を、今日は「ちょっと待って!」とあわてて追いかける。
一年生の自立心を笑って見守っていることの出来ない苦さを思う。


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