月の輪通信 日々の想い
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数日前から家の周りで子猫の声がしていた。 手のひらに乗るほどの小さい斑の迷い猫で、我が家のクーラーの室外機の下で寒い夜をやり過ごす事に決めたらしい。勝手口の扉の下や和室の履き出し窓の下のブロックに座り込んで、いつまでもいつまでもふみ―ふみーと哀れっぽい声で鳴いている。 近頃うちの周りでは野良の猫の姿も余り見かけなかったから、誰かがわざわざ近所に捨てにきたか、駅前辺りの野良さんの子をハイキング客か誰かが気まぐれに抱いてあがってきて放置して行ったものだろう。
当然のことながら動物好きのアプコが一番にその愛らしい鳴き声にめろめろになった。みゃーみゃーと取って置きの猫なで声で子猫を呼ぶ。小さなパンのかけらや鰹節を手に、子猫との距離を警戒する子猫との距離をすこしづつ縮めていく。 「飼う気はないんだから、あんまり構っちゃダメよ」と言いながら、他の兄弟たちも子猫の愛らしさとアプコのあまりの喜び様に、むげに叱る事もできず遠巻きにしながら一緒に子猫の様子を見守っている。 「ありゃー、おかあさん、ダメだよ。アプコ、もう、猫、抱いちゃってる。」 アユコが呆れたような、でも嬉しそうな声で報告してくるまでに30分もかからなかった。
我が家には、既に雑種の犬が居るし、家の中にはアプコのペットの金魚も居る。私も父さんも、ペットに犬を飼ったことはあるけれど、猫を飼った経験はない。おまけに私は家の中で動物を飼うのが好きではない。 このまま、子猫が我が家に居ついて、ずっと我が家で飼う羽目になるのは困るなぁと思う。 かといってこれからの寒くなる季節。 小さい子猫をこのまま放置しておけば、凍えて死んだり、カラスや野犬の餌食になってしまう可能性もある。 通学や庭遊びのアプコの目に付く場所で、この子猫が無残な有様になったりしたらきっとアプコはいたく傷つくだろう。 飼って飼えない事もないけれど、エサだけ与えて気まぐれに可愛がって、そういう中途半端な飼い方になりそうで、それも無責任な感じがする。 「野良の子はなかなか人に懐かないから、きっと家猫にはならないよ」と言う人もあるし、名前をつけて「うちの猫」にしたとたんにふらっと居なくなってしまってもアプコの落胆を思うと忍びない。 困った事になったなぁ。
そんな母の迷いを察してか、それまで眺めるだけで子猫には触れようとしなかったアユコやオニイまで何となく気持ちを緩めてアプコの抱く子猫を撫でたりパンのかけらをあたえたりするようになって来た。 子猫のほうも次第に子ども達に懐いて、小さなツメで網戸をかりかり引っかいて窓の下でみゃあみゃあと人を呼ぶように鳴くようになって来た。そればかりか、隙あらば履き出し窓に小さな前足を掛けて暖かい室内に入ろうとするようになって来た。 「アプコ、外で猫と遊ぶのはいいけど、家の中に入れたらアカンよ。まだ、その猫はアプコの猫じゃないんだから・・・」 母の叱責を諮ってアユコがアプコに注意する。 「その『まだ』ってなによ。うちじゃぁ、猫は飼わないよ。」 と言いながら、アユコも私も父さんもオニイも何となくこの子猫がうちに居ついてしまう事を仕方なく容認して行く雰囲気になってきたようだった。
朝、雨戸を開けたら、子猫の姿がなかった。 昨日までなら、人の気配を感じるとすぐにふみーふみーと鳴き声をあげて姿を見せたはずなのに、今日はその声すら聞こえない。 夜のうちに、もっと寝心地のいいねぐらをみつけたのか。 それとも誰かに拾われていったのか。 何となく物足りない思いで一日を過ごす。 鳴き声が聞こえた気がして窓を開けたり、近所の草むらをそれとなく探してみたり。 「昨日の夕方、子猫の鼻先で雨戸を閉めて追い出しちゃったから、もう他へ行っちゃったのかなぁ」と昨日最後に子猫を見送ったアユコがしきりに気にしている。 「近くに居ると『困ったなぁ』って感じなのに、やっぱり居なくなると寂しいね。」と父さん。 「お友だち見つけて、どっか行っちゃったんじゃない?」 とアプコの反応が意外とあっさりしていたのが、せめてもだった。
今回の猫騒動。 ちょっと面白かったのは、ゲンの反応。 たしかに子猫は可愛いというし、撫でたりエサをやったりするのだけれど、兄弟の中では一番クールな対応。カブトムシやクワガタの飼育ケースをいくつも抱え込み、おじいちゃんちの犬の散歩係もつとめる動物好きのゲンが子猫をうちで飼う事については一番消極的だった。 自分ひとりで何匹もの虫を管理し、たびたび犬の散歩を頼まれて呼ばれていくゲンには、ペットを飼うという事の楽しい場面ばかりではなく、めんどくさかったり辛かったり、嫌になっちゃうことだったりが身に染みてよく分かっているのかもしれない。 「野良は野良。自由に生きている動物に気まぐれに手を貸したり、その場限りの愛撫を与えない。」 人懐っこいゲンの中にある、意外に冷静で割り切った動物観。 こういった部分は、多分に情に流されやすい父や母よりも、よほどしっかりと鍛えられている気がした。
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