月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
今日は工房のお茶室で炉開き。 男性限定のお稽古なので、いつもは義兄や父さんが準備から後片付けまですべてを取り仕切ってやっているのだが、今日はたまたま二人とも朝から不在。 朝、「先生が来られる時間までには、必ず帰ってくるから・・・」と出かけていく父さんを送り出して、さぁ!と腕まくり。 圧力鍋でお接待用のおぜんざいの小豆を煮ておいてから、工房の庭掃除に出動する。 落葉の季節になって、工房の玄関や茶室周りは木の葉でいっぱい。熊手や竹箒を駆使し、ブロワーを導入して木の葉を集める。庭木の株元やつくばいの石組みの間に入り組んだ落ち葉は膝をついてつまみ出し、箕に集めて道向こうの谷に捨てる。 風が吹くたび、頭上の梢からははらりはらりと舞い落ちる落ち葉。 きれいに掃き清めたあとの地面には、すぐにまた木の葉が散っている。
この間、夕方の子供向けの番組で、お寺のお坊さんが小学生くらいの男の子を相手に、庭掃除の極意を教えていらした。 「お寺では、庭の掃除も大切な修行の一つです。一番大事な事は、箒を使うときには自分が箒になりきる。道具になりきって掃除をするということです。」 確かに、誰とも口を利かず、一心に舞い落ちてくる落ち葉をかき集め、集めては運ぶ作業を続けていると、心はいつか修行僧の境地になってくる。 時折巻き上がる風が、風向きによっては竹箒の後押しをしてくれたり、せっかく集めた落ち葉の山をいたずら小僧のように引っ掻き回していったり・・・。 そんな気まぐれに惑わされる事なく、ひたすらに竹箒を運ぶ。 竹箒になりきる。 なるほどなぁ。
「コンを詰めて掃除をしても、すぐにまた落ちてくるよ」 義母が笑いながらやってきて、そのくせ自分も私が掃いたばかりの地面の落ち葉を癇症に一枚一枚拾って歩く。 なんだかなぁ・・・。 掃除が済んだら、父さんたちが帰ってくるまでに、お茶花を調達し、おぜんざいのお椀やお膳を準備して、それからそれから・・・ ああ、まだまだ悟りの境地は遠い。
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