月の輪通信 日々の想い
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アプコの習字からの帰りが遅くなって大慌てで帰ったら、玄関にまだオニイの自転車が帰っていなかった。あららと家に入ると、先に帰っていたアユコとゲンが駆け寄ってきて、お兄ちゃんが怪我をしたと言う電話があって、父さんが学校へ行ったと告げる。 なになに、それ、どう言うこと?とパニクっていたら、父さんから電話が入った。
下校時間、帰ろうとしていたオニイに同級生の二人がしつこいちょっかいをかけた。それを発端に2対1の取っ組み合いになり、オニイも必死に反撃したが何度か顔面を殴られて、めがねが壊れた。そこで知らせを受けて駆けつけてきた先生方が止めてくださったのだと言う。 目の下を殴られたオニイは、念のため病院へいったが、幸い大事には至らなかったとのこと。 アユコに留守番を頼んであわてて学校へ飛んでいったら、校長室のソファーに父さんと項垂れたオニイが待っていた。先生たちも大勢残って下さっていて、相手の二人の保護者も別室に呼ばれているという。 先生から改めて経緯を聞き、オニイからも詳細を聞き出したりして、二人の生徒と保護者からの謝罪を受ける。
オニイに関しては、小学校の頃からこういう場面は何回もあった。 相手の子が「もうしません、これからは改めます。」と言い、その親たちは「子どもには厳しく言って聞かせます」と言葉を重ねて謝罪する。 何度も繰り返される似たような言葉。 最近では正直な所、私自身は加害者の子どもがこれからどう改心していくのかと言う事のほうにはちっとも関心が行かなくなってきた。 親や先生がどれほど目を光らせ、優しさを説いたところで、度を越えたふざけや特定の子に対するしつこいちょっかいは遊びの感覚で昔から子ども達の世界に散乱している。 ターゲットになりやすい子は用心深く友だちを選び、やられたら訴える事のできる信頼できる教師や大人の存在を確保し、護身術でも習う他ないのだろう。
オニイは話の間中、殴られた頬を冷やしながらうつむいてあまり言葉を発しなかった。 二人の加害生徒の方が、だらりとだらしない制服の着方でふらふらと腰の定まらぬ姿勢であごを上げて立っていて、偉そうにみえる。なんだか、それが私にはあまりにも歯がゆくて「オニイ、あんたが下を向くことはない。胸を張りなさい。」と言いたくなった。
小さい頃から、やられても決してやり返そうとはしないオニイ。 暴力は嫌いなのだと言う。 決して、強い奴にかかっていけない臆病なのではない。 自分より力の弱い弟や妹達にも決して手は上げない。 「やられたら、たまには一発やり返しておいで!母が許す!」と挑発しても決して乗らない。 私にはそのことが、歯がゆくてたまらなくいなるときがある。 今回、オニイが凹んでいたのは、殴られて自分が怪我をしたからではなく、自分が相手を殴り返してしまった事に対する自責の念からだったという。殴り返した相手の子には怪我はなかったことを知らされて、心底ホッとした様子のオニイ。 なんと徹底した非暴力主義。
人との争い事を嫌う「平和主義」は父さん譲り。ひとたび事があれば、理詰めで相手を問い詰めまくし立てずにはいられない私と違って、殴り返した自分を責めて自らを縛る厳しい「非暴力」を貫く頑固さは、父さんそっくりだ。 「決して人と争わない」 その穏やかで静かな態度は、傍目には臆病に見えたり、歯がゆく思えたりすることもある。他人から受けるしつこいからかいも、おそらくはそういう争いごとを嫌ってじっと耐える姿が、決して反撃してこない軟弱な弱虫に見えるからだろう。 しかし、自分にも他人にも「争わない」を貫き通すためには、強い忍耐と意思の力が必要なはずだ。そのことに気付く人は少ない。 あえて、そんな風に自分を縛る生き方は、多分世間では気楽に生きていき難い、あまり得にはならないやり方なのだろう。 私はそう思う。
「かあさん、心配かけて悪かったね。」 そんなことをさらりと言える様になったオニイは、思いがけなく大人だった。 多分、もう、「やられたらやり返しておいで!」とけしかけても、「母が怒鳴り込んでやる!」と怒り狂っても、オニイはへらへらと曖昧な笑顔を浮かべて、「かあさん、もうええよ。」と首を振るのだろう。 これはこれでオニイの強さの証なのだと、ようやく母も理解出来るようになった。
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