月の輪通信 日々の想い
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2005年10月27日(木) 鎖を放たれる

朝、台所の雨戸を開けていつものように犬のロッキーを呼んだが反応がなかった。いつもなら、のろのろと小屋から顔を出した所へ、好物のジャーキーを投げてやるので、可笑しいなと思って外へ出たら、小屋の中には犬用の鎖と首輪だけしかなくて、ロッキーがいない。みると、長年つけっぱなしの首輪の金具が壊れて外れてしまったようだ。

門の外に出て、ロッキーの名を呼ぶと遠くの茂みの方から物凄い勢いでロッキーが駆けて来て、私の足元を掠めるようにして反対側に逃げた。
普段はいつも鎖か散歩用の紐でつながれているロッキーは、ある朝突然にふって沸いた自由に興奮して、それこそ見たことのないような速さで駆け回リ、跳躍し、転げまわる。ご近所で飼われている犬全部に挨拶をしに行っては吠え付かれ、草むらに飛び込んでは体中に草の実をくっつけ、何度も何度も私のすぐそばまでやってきては、すり抜けていく。
慌てて捕まえようとするのだけれど、肝心の首輪がないと犬というヤツはなんとも掴まえ所がない。ジャーキーやエサで釣ろうとしても、器用にエサだけ掠め取って、首輪を掛けようとすると素早く後ずさって逃げてしまう。

それにしても動物が疾走する姿ってきれいだなぁと思う。
ロッキーは芝犬を一回りか二回りほど大きくしたくらいの雑種だが、その走る姿は精悍な野生動物が狩りをするときのように俊敏でしなやかだ。普段、1,5メートル半径の行動範囲の中で一日中、うな垂れたり、しっぽを振ったり、吠え立てたりしているだけの家庭犬が、ひとたび鎖を放たれて自由を得たらこれほどにも早く走れるのかと愕然としてしまう。いつも私の夜のウォーキングにつき合って、坂道をフーフーいいながらあがって来るダメダメぶりは、世を偲ぶ仮の姿であったと言う訳か。
たまにはこのくらい、思いっきり走らせてやらなくっちゃねぇ・・・。

見ているとロッキーは、何度も何度も私の足元へ戻ってきては、様子を伺うようにして今度はもう少し遠い所へ駆け去っていく。決して矢の様に遠くへ逃げ去って行ったきりになるわけではない。自分の自由の範囲を少しずつ確認しているようだ。
それでも、その行動半径は一回ごとに少しづつ遠くなっていて、そのうちに、近くの山の斜面を登っていってしまって見えなくなってしまいそうな気がする。
いつでも繋いだ鎖の範囲内にいて、顔を見せれば尻尾を振り、与えられたエサを文句も言わずに食べ、日に一度の散歩で満足して眠る。そんな従順な動物がひとたび自由を与えられると、一直線にかけていって二度と戻ってこなくなるのではないかと言う不安。
これって、なんだか子育てに似ているなぁ。

なんてのんびりしている場合ではない。
ハイキング客や犬連れの散歩の人たちがどんどん上がってくる時間までにさっさとロッキーをつないでしまわないときっと厄介なことになる。
山盛りいっぱいのドッグフードを用意して犬の名を呼び、玄関の土間に誘い込んで閉じ込めていそいで首輪をはめる。
ほんの数十分の自由を満喫して、興奮していたロッキーは首輪が掛かると急に憑き物が落ちたようにペションといつも従順なペットに戻り、とぼけた顔でドッグフードをむさぼっている。

「かあさん、朝ごはん・・・」
ひと騒動終えて家に入るとこれまたのんびりした子ども達の顔。
母の作ったご飯を食べ、母の用意した衣類を身につけて、母の見守る範囲の中で育っていく子ども達。
この子等もいつか、鎖を放たれて、少しずつ自分の自由の範囲を確認しながら飛び去っていくのだなぁ。オニイなんかは、もうそろそろ助走の準備を始めている頃か。
そう思うと何となく子ども達の顔がひときわ愛しくなって、今朝はお茶わんのご飯を心もち山盛りに盛ってみた。


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