月の輪通信 日々の想い
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2005年10月26日(水) |
赤いお茶わん その後 |
工房で久しぶりに釉薬掛けを手伝う。 父さんが使うさまざまな色の釉薬を水とCMCというフノリで溶きなおし、汚れた筆や刷毛をまとめて洗う。 秋も深まって、工房の水道の水もずいぶん冷たくなってきた。夏の間、あんなに暑くてたまらなかった乾燥室から漏れる熱が、冬も近くなった今ではほのぼのと暖かくて気持ちがいい。 年末の干支の仕事も本格的になり、制作途中の小さな犬の香合やユーモラスな顔の犬の置物が乾燥室の棚板にずらりと並んでいる様は何度みても楽しい。同じように制作してもどうしても一つ一つの表情やしぐさが微妙に違って見える犬たちがいとおしくてたまらなくなる。
父さんの脇で白絵がけをしていたら、ひいばあちゃんが仕事場へ降りてこられた。この間、アプコが壊したお茶わんの代わりのお茶わんの仕上げにこられたのだろう。 ひいばあちゃんは「おはよう」といったきり、ことさら言葉を交わすでもなくて、いつもの前掛けをつけ、自分の仕事場を整え、濡れタオルで囲っておいた生のお茶わんを裏返しにロクロに載せる。その形をしばらく眺めておいて、おもむろにカンナを握る。 今日の作業は、高台の周りの削りの作業。手回しのロクロを少しづつ回転させながら、半乾きのお茶わんにカンナを掛ける。 静かに黙々とひいばあちゃんの手仕事が始まった。
自分の仕事に戻ってしばらくして振り返ると、ひいばあちゃんはまだ同じお茶わんを削っておられる。カタカタとロクロを廻しながら、2度3度カンナを入れ、しばらく眺めてはまたカンナを入れる。 その手つきは確かなのだけれど、よくよく見ると高台の付け根の部分に暗い陰の部分が見える。 ああっ・・・と思った。 削りが深くなりすぎてお茶わんの胴に穴が開いているのだ。 素人さんでもめったにしないような失敗なのに、ひいばあちゃんはそれでも削りの手を慌てて止めることもなくて、相変わらず同じ所を削っておられる。もしかしたら、穴が開いていること自体ひいばあちゃんには見えておられないのかもしれない。
97歳。 まだまだ現役で釉薬掛けやひねりの仕事をこつこつとこなすひいばあちゃんは我が家の自慢の存在だ。 この間、ひいばあちゃんが見せたきびきびした手びねりの手順は矍鑠としていて、まだまだ元気に仕事をこなしていかれそうに見えた。 けれども熟練の職人の手にも「老い」と言うのは確実に訪れる。 目も耳も指先の感覚も、確実に老いていくのだ。 父さんにそのことを告げたら、父さんはもうずっと前からひいばあちゃんの仕事の手の衰えを感じていたという。 「茶わん一個仕上げるのにも、四苦八苦してはると思うよ」 そうか、年をとると言うのはそういうことなのか・・・。 胸を衝かれて、悲しくなる。
ひいばあちゃんのお茶わんは、そのうちぽっかりと大きな穴が開く。 そうなってようやく失敗に気付いたらしいひいばあちゃんは、やはり慌てず騒がず手元にある新しい土で穴を埋める。そんな風に取り繕っても一度穴をあけてしまった生地は、きれいなお茶わんには仕上がらない。素人の私にもそんな事は分かるのに、ひいばあちゃんは特別困ったようでもなく黙々と穴を埋める。 そしてまた、同じ所をカンナで何度も削り始めるのだ。
「お茶わんくらい、すぐに作り直したるわ」とアプコにおっしゃったひいばあちゃん。確かに若い頃のひいばあちゃんの手に掛かれば、お抹茶茶わんの一つくらい、仕事の片手間にすぐに仕上がったものだろう。けれども、耳も目も手指も足も年令相応に衰えたひいばあちゃんには、ちょっと前には簡単にできたことが、四苦八苦の大仕事になる。 この間アプコが壊してしまった赤いお茶わんは、もしかしたらひいばあちゃんが一人で作ることの出来た最後のお茶わんであったのかもしれない。きっとひいばあちゃん自身はそのことにはちっとも気がついておられないのだけれど・・・。 そう思うと、なんだか泣けてくる気がした。
ひいばあちゃんが何度も穴をあけては埋めなおした苦心のお茶わんを、父さんはひいばあちゃんのいないときにそっと引き取って、分からないように修復して窯に入れた。 途中で壊れることなく、無事に焼きあがってほしいものと祈る。
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