月の輪通信 日々の想い
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2005年10月25日(火) 通行止め

近所の道路で工事が始まった。
我が家の前はハイキング道の入り口への細い一本道。
途中の道路で工事が始まるとたちまち車両通行止めのお達しが出る。
今回の通行止めは合計5日。工事時間の9時から5時まで全ての車両の通行を止めると言う。かなわんなぁとぶうぶう愚痴る。

若い健脚の持ち主なら「たまにはいい運動だわ」と歩けばよさそうなものだが、しょっちゅう通院する年寄りやたくさんの荷物を下げた買い物帰りはそうとばかりも言っていられない。宅配便やプロパンガスの車、し尿処理やゴミ処理の車など一日たりとも抜かす事のできない車両もある。工房へのお客様の送迎や作品の搬入搬出等、仕事上の車両も日に何度も往復する。
この道を断たれるとたちまちに陸の孤島となってしまう我が家のご近所さんたちはみな工事通行止めというとピリピリと神経を尖らせる。

工事の種類や業者によっては車が通るたびに作業を中止して、工事箇所に厚い鉄板をしいて通行を確保してくれたり、工事の時間を夜間に廻して対応してくれた事もある。工事箇所の近辺に住民用の駐車スペースを確保して、とりあえず工事開始前に車をそこまで移動させておけば昼間車が使えるように配慮するのが普通である。
けれども今回の工事に関しては、「9時から5時まで全面通行止め。」しかも緊急用に用意したと言う駐車スペースは徒歩で20分あまり先にある会館の駐車場。わざわざ徒歩で車を取りに行くような場所ではない。しかも、もっと近くにある私有地の駐車スペースや道路には、工事関係者が乗ってきた車や作業用車両が一日中だらしなく占領しているのだ。「一応代替手段については配慮しておいてやったぞ」というポーズだけが目だって、何となく腑に落ちない。

工事開始の前日にはいつもより大目の買い物を済ませて、習い事の送り迎えや年寄りの通院の算段をつける。工房の従業員の通勤や荷物の出入りの都合もやりくりする。そうして、昼間には車で外出しなくてもすむように十分考えたつもりなのに、いざ通行止めの時間帯になるとなんとなく息苦しくなってきた。
急ぎの買い物があるわけでもないのに、車でしかいけないホームセンターだの本屋だのに行きたくてたまらなくなる。普段はめったに外食する事はないのに、父さんとランチデートに出かけたくなる。めったに行かない遠くのスーパーの特売のチラシがやけに目に付く・・・。
ああ、こういうのって「閉所恐怖症」の一種かもしれないなぁと思う。

実はこのイライラする閉塞感は私だけに限った事ではないらしい。
ご近所の奥さんたちも、「何の用事があるってわけでもないんだけど、車がつかえないとツバサをもがれたようで、イライラして落ち着かない」と口々にこぼしておられた。
夕方、工事の終了時間を待って車を出そうとしたら、義父も車でちょうど買い物に出かけるという。「ちょっと牛乳だけ買ってくるわ。」と声をかけたら、珍しく父さんも一緒に乗ってくると言う。
近所のスーパーに入ったら、お向かいのおじさんが空っぽのかごを持ってぶらぶらしている。「格段買うものもないんだけど。」と、これまた「用もないのにとにかく外出」ということらしい。
ご近所さんたちの多くが、みんなそれぞれに、おんなじ閉塞感、おんなじもやもやした不自由さや不満を抱えて、今日の一日を過ごしていたのだということが分かって、なんだかとても可笑しくなった。


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