月の輪通信 日々の想い
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2005年10月06日(木) |
華やかさとわびしさと |
久しぶりに歩いてスーパーへ。 昨日は雨で肌寒いくらいの一日だったのに、今日はまた晴れやかな好天気で、暑いくらい。ウォーキングを兼ねて、早足でテッテコ歩くとさすがにまだ汗が出る。まだまだ半そでのTシャツでも正解だなぁ。
このスーパー、最近は古くからのテナントが抜けて空き店舗が増えたり、怪しげな安売りの店が入ったりいして、何となく元気がない。お客さんも子ども連れの若いお母さんよりは、シルバーカーを押した年配の女性の比率がだんだん高くなってきているよう気がする。 今日、久しぶりに店舗に入ると、この前までがらんと空きスペースだった所に、100円ショップが店を広げていた。急ごしらえの簡易な陳列台にいろんな品物をゴチャゴチャと並べて、おじさんが一人、気乗りせぬ顔つきで店番をしている。 品揃えも何となく旧式で、格別欲しいと思うものもなかったのだけれど、見るでもなく封筒の束やら洗濯バサミやらを眺めていたら、二人の老婦人がやってきた。
二人は平台に置かれた段ボール箱に乱雑に並べられている造花に目を留めた。硬いビニル製のけばけばしい色彩の造花の中からあれこれ引っ張り出しては、ああでもない、こうでもないと花束を拵える。 やがて、手持ち無沙汰に座っていた店のおじさんもよっこらしょと乗り出してきて、二人の造花選びに加わった。 「この年になってひとりで住んでいるとねぇ、家のなかに赤い色のモンがなんにもなくてねぇ。すすけた色ばっかりで、気が滅入るんよ。」 というおばあさんに、連れの女性もうんうんと頷く。 「だからって、庭に花を植える元気もないし、たんびたんびに生のお花を買いに来るわけにもいかないからねぇ・・・。」 だから、造花がいるというわけか。 いかにも安っぽい色彩のどこにでもある人工の花。 こんなもの、わざわざ買ってかえって自分ちの居間に年中飾り続けている人なんてあるのだろうかと常々思っていたのだけれど、これにはこれでそれなりのニーズというものがあるのだなぁと変な感心をしてしまった。
「こんなものでどうやろう」 店のおじさんが、極彩色の造花の山の中から二人の老女のために選び出したのは、意外にも淡いピンクのコスモスだった。同じ色のコスモスを3本ばかり束ねて、老女達のほうに掲げて見せる。 「ちょうど季節もいいし、このくらいのあればちょっと豪華に見えるやろ?」 「ああら、ほんと。随分華やかなこと・・・。」 と、二人はうんうんと頷いた。 おじさんは同じコスモスの花束を二つ分、くるりと紙に包んで二人に渡す。 お揃いの花束を買ったおばあさん達はそれぞれに300円ずつ支払った。
「これでちょっとは家の中が明るくなるわ・・・」 と店を出ながら、一人のおばあさんが嬉しそう呟いた。 もう一人のおばあさんは、それにはいはいと相槌を打ちながら、誰にともなくそっと付け加えた。 「でもねぇ、秋のコスモスが冬になっても春になっても家の中で咲いているって言うのは、考えようによっちゃわびしいモンやねぇ。作り物の花って言うのは枯れないから余計わびしいねぇ。」
老いの家に、一点の華やかさをと恋うる気持ち。 永遠に枯れない造花を「侘しい」と厭う気持ち。 孤独に暮らす老女達の複雑な思いに触れた気がして、戸外の陽光をことさらまぶしく感じた午後だった。
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