月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2005年09月19日(月) 112歳の気持ち

敬老の日が9月15日ではなくなったのは、いつからだったっけ。
思わずフライングしそうになって、父さんに笑われた。
去年に引き続いて、こちらの義父母とひいばあちゃんにはアユコと一緒に「敬老弁当」を拵えた。
小さな3段のお重に、豆ご飯や焼き魚、サトイモのコロッケやしし唐のジャコ炒め、アユコ作の玉子焼きなどをぎゅうぎゅう詰めて、夕餉の時間にアプコが配達。ひいばあちゃんが喜んで、「是非、写真を撮っておいて」といってくださったそうだ。
お粗末さまでございました。

つい数日前、今年日本で最高齢となった112歳のおばあさんの様子がテレビに出ていた。ニコニコとお元気そうな様子で、おだやかないいお顔をしていらした。
「日本最高齢になりましたよ。」といわれて、「そげんになるかね。ありがたいこと」とはっきり返事なさったという。
もうこのくらいの年令になると、正確な自分のお年は意識なさらないものなのなのだろうか。昔の人は実年令の他に、数え年などというややこしいものもあったりするので、周りのものにもなかなか本当の年令がわかりにくかったりする。父さんが水墨画をお習いしていた南画の大家の先生は、確か今年で102歳になられるのだが、100歳になる数年前から自分で「百歳翁」と署名しておられたし、90代後半からは「半年に一つくらいお年を取られる」というぐらい、自分の年令を多めにサバを読んでいらっしゃったのがなかなかチャーミングだった。
さすがに1世紀も生きてこられると、1歳2歳の違いなんてあってないようなものなのかもしれない。
それはそれでおめでたいことだ。

日本人の平均寿命は男性78.6歳、女性は85.6歳だそうだ。
私はこの春42歳になったので、平均寿命の半分を生きた事になる。ちょうど人生の折り返し点というところか。これまで生きてきた時間よりも、残りの時間の方がどんどん短くなっていくのだという事に愕然とする。
「お母さんは120歳まで生きて、意地悪ばあさんになって威張るからよろしくね。」と子ども達には宣言している私だけれど、体や心の変化は間違いなく「成長」ではなく「老い」の方向に下っていくのだろうなぁということを近頃実感する事が多くなった。
決して今日明日すぐに老け込んでしまうという訳ではないけれど、登りきった山には必ずくだりの坂道がある。そのことが平均年齢85歳という数字にはっきりと思い知らされる。

112歳。
どういう心持で毎朝、新しい朝を迎えられるのだろう。
もしかしたら今日、目覚めぬまま、逝ってしまっても不思議ではない。
明日、お迎えが来ても、「大往生」と称えられる。
そんな奇跡のような112年目の朝を、当たり前のように淡々と迎えるお年寄りの表情がおんなに穏やかで楽しそうなのは何でだろう。
誰でもが迎える事が出来るわけではない112歳のお年寄りの気持ちをのぞいてみたい気持ちになる。

「ありがとう」「サンキュ」が口癖なのだそうだ。
長寿を誇るお年寄りの話になると、よく「口癖は『ありがとう』」とか、「長寿の秘訣は感謝の心を忘れない事」とか言われる事がある。
あれはどうなんだろう。
何事にも「ありがとう」という気持ちでいれば長生きできるということなのだろうか。
それともたまたま「ありがとう」を口癖とするような気のいい人が長生きするという事だろうか。
あるいは、年令を重ねて体も衰え、誰かに世話してもらったり手伝ってもらったりする回数が増えるから、必然的に「ありがとう」の言葉が増えるのか。
もしかしたら、年老いてなお、周りの者に感謝の心を忘れない完成した人格としての老人を理想とする、人のささやかな願望が、長寿の人の「ありがとう」という言葉をことさらに拾って「口癖」にさせているのかもしれない。
どちらにしても、「大往生」と呼ばれる年令になってなお、「ありがとう」といえる朗らかな気持ちと、周囲の心遣いを認知できる理性を持ち合わせたまま、年老いて行きたいと心から思う。

男性の長寿日本一は110歳のおじいちゃんだという。
90歳代になってから始めたカメラが趣味で、老人ホームのお友だちや職員の方の写真を撮ってはは現像に出すのを楽しみにしておられるという。
110歳になってもおおらかに遊んでおられる無邪気さがいい。


月の輪 |MAILHomePage

My追加