月の輪通信 日々の想い
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2005年09月14日(水) 入門

夏休みから、アプコが本格的に習字を習う事になった。
真新しい朱筆のお手本をもらい、大筆にたっぷりと墨汁を吸わせて、白い半紙に大きなひらがなを書く。
筆遣いも、半紙の裏表さえも習わぬアプコが初めて書いた「うみ」という文字。モタモタとぎこちない手つきながらも、おおらかに半紙を埋める大きな文字にアプコのあっけらかんとした素直な気性がそのまま映し出されているようで、なんだか見ているほうまでほんわか嬉しい気持ちになってくる。
いい字だな、と思う。
「こういう文字は、子どもにしか書けないねぇ。大人が真似しようと思っても決して書けない」と、先生のTさんも言う。
褒め上手なTさんにおだてられて、アプコは何枚も何枚も得意げに「うみ」の二文字を書く。きゅっと唇を結んで、小首をかしげるように半紙をにらんで、はみ出さんばかりの大きな文字を書く。そして、小筆でサラサラと自分の名前を書きおえるとようやく緊張した表情が解けて、ニコニコと楽しげな笑顔が戻る。
子どもの、こういう集中した表情っていいなぁと思う。

私やアユコが習っている小さな書道教室。
実を言えばアプコはここへは私のおなかの中にいるときから、くっついて一緒に通っている。大きい子達が習字をしている間、隅っこで絵を書いたり、我流のひらがなをなぐり書きをしたりして、帰りにはアユコと一緒にご褒美の飴玉を貰ってくる。そういう「プレ書道教室」状態がもう何年も続いていたから、アプコがここで習字を習い始めるのはごくごく自然な成り行きだった。
アプコがひらがなを書けるようになったのは幼稚園の年長さんの頃。
幼稚園の女の子達の間に「お手紙ごっこ」が流行りだして、アプコも見よう見まねでひらがなを覚え始めた。けれども「正式に文字を習うのは、小学校一年生の教室で・・・」という親の勝手な教育方針で、私はアプコに積極的に文字を教えるという事はしなかった。鏡文字や意味不明のカナ釘文字も満載のままアプコは小学一年生になった。
「今日は、『あ』を習ったよ。」
「今日は、『さ』の字を習ったよ」
一学期のアプコは、先生が黒板に一文字ずつ書いて教えてくださるひらがなを、いかにも嬉しそうに毎日母に報告してくれた。
そうして学校で、ひらがなの50音を全部習い終わるのを待って、ようやく秋からの書道入門の運びとなった。長い間、稽古に通うアユコの傍らで、「アタシも早くお習字習いたいな。」というのを、たっぷり待たせてからの入門である。

これがオニイやアユコの時だったら、「就学までにせめてひらがなの50音は教えておかなければ。」とか「簡単なたし算くらいはくらいは出来るようにしておかなければ。」と、前もってあれこれ教え込んでいた所だけれど、さすがに4人目ともなると、「そんなにいろいろ先走って教え込まなくても・・・」という余裕も出てくる。
いつまでも続く鏡文字や手指を使ってのたし算にも、「そのうち、わかるよ」と笑ってみていられるようになった。
そんな事よりも、息を詰めるようにエンピツを握り締めてワークブックに取り組む姿や、はじめてもらった花丸に嬉しさを隠せないでピョンピョン飛び回る姿になんともいえない愛しさを感じる事がある。
子どもがはじめて読み書きを習うという事は、本当はこんなふうに喜びに満ちた楽しい経験なのだなぁということに改めて気がついた。

アプコが学校のノートに書いてくる文字は、割合筆圧も強く、大きくおおらかな素直な文字だ。小さい時からこつこつと几帳面な文字を書いたアユコと違って、間違いや「ちゃら書き」の文字も目立つが、アプコの文字はいつものびのびと背伸びをしている。
字を書く事、それ自体が楽しくてたまらない。
そういう楽しい季節をアプコは今、生きているのだと嬉しく思う。


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