月の輪通信 日々の想い
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2005年09月08日(木) 感動的なネギ

夏休みに家族で私の実家に里帰りしたときの事。
お昼ごはんに「ぶっ掛けうどん」をと、母が用意してくれた。
湯がいて冷水で冷やしたうどんに、温泉卵と天カスをのせ、ジャブジャブとお出汁を直接注いで、ネギやショウガの薬味を載せていただく。
簡単な一皿だけれど、、我が家ではあまり食卓に上らない温泉卵が子ども達には珍しくて、「うまかったなぁ」と大好評。
「おかあさん、おかあさん、おばあちゃんちで食べたトロッとした卵、近くで売ってる?」とアプコにせがまれて、スーパーの店頭で3個パック120円也の温泉卵を買い込んでくる羽目になった。

オニイは野菜嫌いのくせに薬味にうるさい。
朝ごはんに好物の納豆を食べるにも、必須の二つの条件がある。
ご飯は、その朝炊き立てのご飯である事。
小口に細かく刻んだネギがあること。
どちらが欠けても、「今日は納豆やめとくわ。」と決して間に合わせの納豆は食べようとしない。おまけにわざわざ茶わんによそっておいたご飯を炊飯器に戻し、おもむろに納豆にネギやたれを入れて十分に混ぜ合わせてから、新たに熱々のご飯を自分で茶わんによそいに立つ。納豆をこねている間に茶わんのご飯が冷めるのが彼の厳しい嗜好にそぐわないのだという。
薬味のネギも刻んだものが用意していなければ、時には包丁を握ってわざわざ自分で刻んだりもする。
玉ねぎも白ネギも嫌いなはずのオニイなのに、青い細めの刻みネギには格別のこだわりがあるらしい。

加古川での「ぶっ掛けうどん」のとき、オニイは母が刻んだまな板の上の薬味のネギをみて感嘆した。
「うわっ。感動的なネギやなぁ。」
母が用意したのは、裏庭で育てたという細い細い青ネギ。
それを細かく丁寧に刻んであって、我が家でしょっちゅう見かける「お手手つないで」の切りそこないが一つも混じっていない刻みネギだった。
「何を大げさな・・・」といいながら、きれいな直径2ミリの輪っかの揃った刻みネギはそれだけで丁寧な「仕事」を感じることの出来る見事な出来ばえ。日頃、包丁やまな板のせいにして「お手手つないで」のネギをいい加減の食卓に乗せる我が家の刻みネギのぞんざいさを恥じる。

いつもは母の「お手手つないで」を特別文句を言うでもなく口に運ぶオニイにも、自分で育てた青ネギを丁寧に刻んで食卓に乗せるおばあちゃんの料理の細やかさを「感動的」と評する事が出来る美意識が育っている事に少なからず驚いた。
「食は大事」といいながら、雑事にまぎれて、食材に対する真摯な感謝や自分の作った料理を食べてくれる家族への細やかな想いを、ついついおざなりにしてしまいがちな主婦の怠慢をチクリと指摘されたようで胸が痛んだ。

八百屋の店先に並ぶたくさんのネギ。
細ネギ、あさつき、九条ネギ、やっこネギ、万能ネギ・・・・
いつもは特別注意もせず、一番お買い得の大束のネギに手が伸びるのだけれど、今日は一番細くて青々ときれいに束ねられた一束を選ぶ。
それでもあのときのネギのような満足のいく繊細な切り口には出会えない。
多分、母は庭に植えた、まだ育ちきらない幼いのネギを葉先だけ寄せ集めるように摘んできて、食卓に供したのだろう。
結局、八百屋の店先に満足の行く繊細さを見つけることができなくて、とうとう、ホームセンターの種苗売り場で細ネギの種を買い込んできた。
145円也の小袋の種から、我が家に「感動的なネギ」を導入する事が出来るだろうか。
とりあえず、今は家にある菜切り包丁を丁寧に研いで、買って来た細ネギをいつもより数倍丁寧に、つながらないように小口に刻む。
なるほど、心を砕いて刻んだネギは、確かに味が違うと自分では思うのだけれど、はてさて、薬味にうるさいオニイの舌は、母の刻みネギの変化に気がつくだろうか。


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