月の輪通信 日々の想い
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夏場、窯に火が入っている時の工房は暑い。 埃っぽい扇風機の風も熱を含んで生暖かい。 乾燥室の扉の前のひいばあちゃんの釉薬掛けスペースは、窯にも一番近く、風の通り道からも外れているので、座っているとじわじわと熱気が溜まってくる。窯をあけたり、乾燥室の扉を開けたりすると、ぐわっと厚みのある熱風が押しよせて、さながらサウナ室の熱さだ。 そのくせ、隣接する玄関のスペースは、来客者を迎えるため、いつもかなりきつめの冷房が入っていて、出入りのたびにその強烈な温度差に頭がくらくらしそうになる。 製陶業の夏の暑さは厳しい。 傍らに置いたペットボトルの水分を何度も口に運びながら、父さんはもう何十回もこの仕事場で夏を過ごす。 目に見えない細かな埃状の土と釉薬がいつも空気中に舞っていて、汗で湿った肌や衣服にまとわりつくように積もっていく。 夜、帰宅した父さんが脱ぎ捨てる作業用のジーンズやエプロンは、汗と埃を吸ってどっしりと重い。
この間から、父さんが工房の天井を見上げてしきりに首をひねっていた。 築後30年近い工房の窯場部分の天井は、鉄骨むき出しの工場仕様。 長年の埃が積もった天井は煤だかなんだかで黒く汚れている。 「やっぱりこれもアレかなぁ・・・。」 TVや新聞で話題のアスベスト。 表面だけ見ていると、いかにもそれっぽい感じの繊維質のでこぼこが見えているし、それもかなり老朽化している。 これがホントにソレだったら、ここで毎日朝から晩まで仕事をしている父さんやひいばあちゃん達は、有害物質を長年にわたって吸引しまくっているなぁと空恐ろしくなる。 幸い義兄が工房建築当時の業者さんに改めて問い合わせてくれて、工房の天井材は石綿ではなくて、「ロックウール(岩綿)」と言われる比較的粒子の大きい建材が使われていることが分かり、ホッとする。こちらのほうは吸塵の危険性は当然あるものの、アスベストのような強い発がん性は認められていないのだそうだ。 それでも、見た感じはニュース映像で見るアスベスト建材とそっくりだし、工房においでになるお客様や見学者の心証もよくないというので、むき出し部分を新たな化粧板で覆う工事が近々入る事になったという。 この忙しい時期に、工房の動きを止めての改装工事も気の重い話ではあるけれど、とりあえず毎日工房で働く人に深刻な健康被害はなかったということで一安心。
一日の仕事を終えて、夫が持ち帰ってくる汚れた作業着。 その汚れの具合から「ああ、今日もたくさん仕事をしたのだな。」と思いながら、ザブザブと洗濯機を廻す。ズボンのヘリやエプロンのポケットからは思いがけなく細かい粘土の粉や釉薬の粒子がざらざらとこぼれ出てくることもあって、まるで砂遊びを楽しんだ後の子どもの遊び着のようだ。 洗濯機の中にザラリと粒子の感触が残る事もあって、「うちの洗濯機の寿命はこのせいで短くなるのかもしれない。」と思ったりする。 そのくせ、膝までべったりとベンガラの赤が染み付いたジーンズやこぼれた釉薬でコーティング加工されてしまったエプロンを洗うたび、今日の日のとうさんの仕事が滞りなく終わり、充実した制作の時間が費やされた事を嬉しく感じたりもする。
アスベスト被害者の中には、直接アスベストを製造したりそれを使って仕事をしたりしていた人ばかりでなく、そういう仕事に携わる夫の作業着を毎日洗濯していたであろう主婦も複数含まれていると言う。 夫の一日の労働の成果を思いやり、ホッとする思いで洗濯機を廻し、パンパンと叩いて日なたに干し物をする。 そういうささやかな日常の一こまが、知らぬ間にヒタヒタと主婦の健康をも蝕み続けていたと言うことの悲劇を改めて思う。 なんだかとても他人事とは思えない。
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