月の輪通信 日々の想い
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2005年07月13日(水) お巡りさん

小学校、校区懇談会。
PTAの主催で地域の集会所に保護者が集まり、先生方も交えて子ども達の日常や学校生活について話し合う恒例行事。
課題は昨年に引き続いて、「子どもの安全について」
子どもを持つ人たちが今一番心に留めている事は、子ども達が犯罪や事故にあうことなく、元気に学校に通える事。
こんな田舎の小さな町にも子どもを脅かす小さな心配の種はそこここに落ちている。「水と安全はタダ」といわれたのは、もう過去の話。
「地域で子ども達を守ろう」がスローガン。
ホントに喜んでもいいのやら。

と言うわけで、今年は地域の交番のおまわりさんが出張講師としてやってきて、地域の犯罪発生状況や防犯の心得をいろいろ講義してくださった。
講師は、ごく最近まで警察学校の教官のお仕事をなさっていたと言う元気なおまわりさん。
「えー、私の名前は、タカミツといいまして・・・」
と元気よく自己紹介をなさる。ホワイトボードに「高光」と大きな文字で書いて、その隣にマッチ棒のような人型を添える。そしてその頭の部分にご丁寧に赤いチョークでピカピカと後光のように光り輝くしるしを書き込む。
このあたりになって、お話を聞いているお母さんたちのなかからクスクスと笑いが起こった。
「高く光る。高い所が光ってる。ホンマに見たマンマの覚えやすい名前でしょう?」とお巡りさんは笑って頭をかいた。
そう、講師役のおまわりさん、まだまだお若い口ぶりなのにてっぺんの方の御髪がかなり寂しい。ゆで卵の様なつややかなヘアスタイルで笑っておられたのだ。そのあっけらかんとしたアピール振りが楽しくて、その場のお母さんたちの雰囲気もぐっと柔らかくなった。
「ツカミはOK」と言うヤツだなぁ。

自分のことにしろ他人のことにしろ、その容姿や外見のことをあからさまに口に出して言うことは何となくはしたない気がして好きではない。自分の容貌や体型についてのコンプレックスを人からとやかく言われたくないという気持ちでもあるが、たとえそれが人から褒められるべきよいほうの事柄であっても、そのことをおおっぴらな話題にするのが何となくはばかられる。
「最近ふとったんじゃない?」とか、「やあ、お互いすっかり白髪になっちゃったね」とか挨拶代わりの軽い言葉にも、小さな棘を感じてウッと嫌なものを呑み込むことがある。
そういうことが話題に上ること、その外見が普段人から見られ評価されている事を思い出さされること自体が、イヤなのだ。

よくTVに出てくるタレントで、太っている事とか頭髪が薄いこととか容貌が著しく劣っている事とか、そういう自分の外見上の「欠点」を売り物にして笑いを取ったり、人気を博したりする人たちがいる。
ああいう世界の人たちだから、自分のコンプレックスや外見のウィークポイントを他人から「イジッて」もらって知名度を上げることも、仕事のうちなのだろう。
そのあっけらかんとした開き直りはまぶしくもあり、周りも盛り上がって他人の欠点を嘲笑する事で笑いが作られる。他人の容貌や外見を笑うとき、人は実に楽しそうな嫌な笑い方をする。その人に対する自分の優越を腹の中でひそかに暖めながら。
人から「デブ」と弄ばれ自分も高らかに笑っているタレントの中に、時々コンプレックスを衝かれた人の淡雪のようなかすかな痛みの表情がすっと通り過ぎるのを発見することがある。
私はその種の悲しみが嫌いだ。

今日の講演のお巡りさん。
壇上に立ったとき、瞬時に会場の人の目が自分の頭髪に注がれ、軽い笑いの空気が流れた事を感じられたのだろう。これまでの人生の中で何度もそういう空気を経験してこられたに違いない。お話を聞けば子どもさんもまだ小さく、ヘアスタイルから察せられる年齢よりはずっとお若い。いわゆる「若**」というヤツなのだろう。
頭髪の悩みを人知れず抱えてコンプレックスに感じる男性は多い。
このお巡りさんも、日焼けして汗の光る額に年齢相応の前髪が垂れていたなら、もっと若々しい男前に見えたに違いない。ご本人も日に日に薄くなっていく自分の頭髪のことを憂鬱な思いで惜しむ事もあっただろうと思う。

「名は体を表すといいましてね・・・」
と、マッチ棒人形の後光を2,3本描き足して、ささっと名前ごと消してしまったお巡りさんの笑顔には、微塵の卑屈さもコンプレックスも感じなかった。こういう自己紹介をもう何十回もいろんな場面でなさってきたのだろう。
けれどもそのあっけらかんとした明るさは、慣れや諦め、開き直りによるものではない。
「286、この数字が何の数字かわかりますか。
明治以来この大阪での警察官の殉職者の数です。
警察は日々、命懸けで地域の安全や安心のための仕事をしています。」
冗談やユーモアの間に、「命懸け」などという強い言葉をおざなりなスローガンとしてではなく、真摯な言葉としてさりげなく織り込む事の出来る強さ。
それは、この人の仕事に対する強い使命感や誇りという、その心棒の確かさによるものなのだろう。

巷では警察官や教師、政治家など、人から信頼されるべき立場の人たちの不祥事や事件が溢れる中、淡々と職務を守る人のさわやかな強さを見つけた。
私はこの人の普段のお仕事振りを知っているわけではないけれど、どこか少しホッとできる気がした。


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