月の輪通信 日々の想い
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昨日書いたアプコの個人懇談の席でちょっと気に掛かった事など。
アプコのクラスに一人軽い自閉症の女の子がいる。 入学当初から、アプコはHちゃんの近くの席になることが多くて、一緒に遊んだり、あれこれお手伝いをしたりする機会も多かったようだ。 「Hちゃんはね、時々ひまわり学級へ行ってみんなと違うお勉強をするの。」 「今日はHちゃん、ジャングルジムの一番上まで登っちゃって降りられなくなって困ったよ。」 「Hちゃんは自分からはちっともお話しないけど、絵がとっても上手なの。ビックリするくらい上手、ほんとに上手なの。」 「Hちゃんに『名札のお名前、読んで』っていったら、名前呼んでくれるンよ。」 アプコにとっては障害を持つお友だちとのはじめての出会い。「他の子とちょっと違うらしい」と気づいただけで、意外と抵抗なくすんなりと寄り沿うようにお友だちになっていく様子が微笑ましかった。
Hちゃんのお母さんはHちゃんが普通学級にいることで、他の子どもの邪魔をしたり迷惑を掛けたりしないかとかなり気にしておられたようだ。だからアプコが始終、Hちゃんのそばにいて一緒に外で遊んだり、配布物を配るのを手伝ったりしていることをとても喜んでくださっていると聞いた。 私自身もまた、家では末っ子姫の甘えん坊のアプコが、お姉さんぶってHちゃんの世話を焼いたり、そのくせHちゃんの絵の才能に素直に感嘆して「すごいねんで!」と我がことのように得意になったりしていることを嬉しく思っている。アプコが「障害のある友だち」との出会いを、きわめて自然な微笑ましい形で経験することができたことをありがたいと感じているからだ。
先日の個人懇談の席で、M先生の開口一番の一言は、「アプコちゃんにはほんとにいろいろ手伝ってもらって、助かってますよ。」だった。 Hちゃんもアプコのことをいくらか気に入ってくれているようで、先生や他の子が促しても聞かないことをアプコが「一緒にやろう」と手を差し伸べると、意外とすんなり受け入れてくれたりすることがあるのだそうだ。 だから、障害学級の先生までも、「ちょっとアプコちゃん、おねがい!」とアプコを呼ぶことがあるのだそうだ。 まぁまぁ、あの甘えんぼのアプコが・・・・と、半信半疑ながら、アプコの事を頼りに思ってくださる事は母として誇らしい。 「せいぜい、何でも言いつけてください、家でのアプコはまるっきりお姫様ですから・・・」と、笑顔でお答えしておく。 とりあえず。
・・・取り合えずと言いつつ、少し気になったM先生の言葉。 「アプコちゃんはHちゃんの『扱い方』がとてもうまいんですよ。」 「Hちゃんの『面倒』をよく見てくれます。」 「Hちゃんの『お世話係』ですね。」 障害のある子どもに、適当な子どもを「お世話係」として割り振って、身の回りの世話や遊びのサポートを任せるのは、昔からよくあることだ。私も小中学校の間はそういう「お世話係要員」だったし、アユコもそうだ。そのこと自体、私は悪い事だとは思わないのだけれど。 ただアプコ自身はまだ、Hちゃんとブランコで遊んだり、Hちゃんに歯磨きカードに丸をつけさせたり、Hちゃんの席に配られたプリントを代わりに後ろへまわしてあげたりする事を、「面倒を見る」とか「お世話をする」とは感じていない。 「ちょっとだけ変わったお友達」と一緒に遊んで、時々お手伝いもしてあげるくらいに感じているようだ。 障害のあるお友だちに、せっかくそういう自然で素直な出会い方をする事のできたアプコに、あんまり「お世話する」とか「面倒を見る」とか、ましてや「扱い方がうまい」なんて言い方を聞かせないで置いて欲しいなぁと思う。 M先生自身は、アプコとHちゃんの関係を純粋に褒めてくださっていて、その労をねぎらう意味での言葉なのだと言うことはよくわかる。けれども、今のアプコにHちゃんのことを「面倒を見てあげなければならないお友だち」「お世話してあげる子」と思う認識はまだまだ持たせたくないと思う。
そうでなくてもいつか、アプコはHちゃんの抱える「障害」と言うものの意味に気づいていく時が来る。 自分にはできてHちゃんにはできない事、自分にはわかるけれどHちゃんには理解してもらえない事があるということ。 そういう障害があると言うことで、Hちゃんのことを邪魔に思ったり意地悪をしたりする人もいるということ。 それでもなお、自分とHちゃんの中に共通する同じものが流れていると言ういうこと。 そういう大事なことをアプコは、これからの長いHちゃんとのお付き合いの中で少しづつ学び取っていくだろう。 それは出来ることなら、誰かから言葉で教えられるのではなく、アプコが自分自身の経験や自分自身の感情のなかから学んでいって欲しい。 私はそう思う。
「お世話係」 「面倒を見る」 「扱いがうまい」 何度も出てくるM先生のその言葉には、誰に対する悪意もない。 Hちゃんのことも上手にクラスに受け入れていらっしゃる先生だし、アプコのことも充分配慮して見ていて下さっているのがよくわかる。 だからこそM先生の言葉に感じるかすかな違和感の意味を、はっきりと形にすることもできないまま、表向きはニコニコと笑顔で頷きながら懇談を終えた。 なんだかとても苦いものを、繰り返し繰り返し、呑み込んだ気がする。
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