月の輪通信 日々の想い
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父さん、個展二日目。 近頃は百貨店も閉店時間が遅くなって、朝、開店と同時に会場に入った父さんは7時過ぎまで会場で過ごす。見に来てくださるお客様の流れによっては昼食をとる事もままならず、一日立ち詰めのこともあって、連日の夜なべ仕事の後のこの一週間は体力的にもきついものだろうと思う。 それでも、「思いがけない人が来てくださった。」「通りすがりのお客さんとこんな出会いがあった。」と嬉しそうに語ってくれる口調は明るい。 多分、一日中いろんな人とお会いして、たくさんお話をして、少々ハイになった気分をそのまま持ち帰ってくるのだろう。 からだの疲れも睡眠不足も、そうした高揚した気分が紛らせてくれているのかもしれない。
「おかあさん、ほんとにおとうさんってデパートで売ってたの?」 とアプコが訊く。 私と父さんはお見合い結婚。 はじめて二人が対面したのは、5月に閉店した大阪三越の美術画廊。ちょうど義父の茶陶展の会場で、父さんはそこでお客様の応対をしていたのだった。 だから子ども達が「お父さんとお母さんはどこで知り合ったの?」と訊くたび、「お父さんは、三越の美術画廊に並んでたのをお母さんが買ってきたのよ。」と何度か冗談で言った事がある。 連日百貨店へ出かけていく父さんを見ていて、アプコはその事を思い出したのだろう。 「ねぇねぇ、他の人も売ってた?なんでお父さんに決めたの?」 母のほら話とは知りつつ、父さんが売りに出されているという情景が面白くてたまらないアプコは何度も何度も同じ質問をする。 「どこで売ってたの?」「三越の美術画廊。」 「値段の紙、付いてた?」「うん、背中ンとこに値札が付いてた。」 「おとうさん、高かった?」「うん、めちゃくちゃ高かったよ。」 「なんでお父さんに決めたの?」「いちばんかっこよかったから。」 時々「そうだったよねぇ?お父さん。」と、父さんまで巻き込んでするほら話がアプコには楽しくてたまらない。 山から下りてくる大男や若宮のプールに出るという人食いワニの話と同様、父母が語るたのしいほら話の一つなのだろう。 アプコはそういう我が家限定のファンタジーをいつまでも暖めてくれる最後の子。その幼さがいとおしい。
個展を見に来てくれた実家の父母から電話があった。 「なかなか落ち着いたいい作品を作るようなってきたなぁ。あの年齢で自分のやりたい事にあれだけ打ち込んでやれるという事は本当に幸せなことだなぁ。」とお褒めの言葉を頂いた。 好きなことを一生の仕事として打ち込んでいける父さんの幸せ。 そして好きな人がよい仕事を残していくのを後ろで見守っている幸せというのも確かにあるのだ。 お父さん、お母さん。 あなたの娘はあの日、本当にいい買い物をしましたよ。 一生賭けた大きな大きな買い物でしたが・・・。
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