月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
父さんの個展初日。 個展会場に向かう父さんを駅まで送る。 制作の睡眠不足で既にグロッキー気味の体に久々のネクタイで気合を入れて、これから一週間、父さんは個展会場である百貨店のアートサロンにカンヅメの日々だ。
駅への途中、ウォーキング中のSさん、Yさんとすれ違う。 父さんを駅におろしてとんぼ返りしてきたら、再び折り返してきた二人に会った。 「だんなさんの個展、今日からだねぇ。」 と、以前に案内状を渡していたSさんが声をかけてくれた。 「そうなのよ、ようやくね。」 と話していると一緒にいたYさんが、父さんの作品を見に行きたいという。SさんYさんは同じ水彩画教室に通っており、以前から陶芸にも興味があったらしい。急いでYさんにも何枚か案内状の葉書を渡す。 「わ、嬉しい。絶対いく!」 「いつ、行く?」 「う〜ん・・・、今日!」 「これから、うちに帰って、着替えて・・・。」 「行こ!」 Yさん、Sさんの速攻の決断が嬉しい。 それにしてもフットワーク軽いなぁ。 おうち大好き、出不精の私にはまぶしいような決断力。 ありがたいと思う。
先日、父さんに届いた2通の葉書。 一通はペン書きの、もう一通は筆文字のものだが、その筆跡は同じ。 アラビア文字を縦に並べたような、達筆を通り越して呪文のような乱れた続け文字で、判読しがたい。 表を返すと、どちらも父さんの水墨画の師匠のJ先生からの葉書だった。 南画の大家であるJ先生は御年100歳。ついこの間までお元気に外出もなさり、精力的に制作もなさっていらしたが、さすがに最近では少しからだを悪くなさったりしているという。 葉書の文字も、行が斜めに倒れ、震えも見て取れて、一瞬誰かのいたずら書きかと見紛うばかり。 それでも父さんが出した個展の案内状に、丁寧なお祝いの言葉を下さり、体調不良のため外出も適わぬ旨を詫びていらっしゃる。一日遅れで2通も同じ文面の葉書が届いたのは、多分前の日に自分が出した葉書の事をすっかり忘れて、再び出しなおされたものだろう。 あれだけの素晴らしい書画をたくさん生み出してこられたJ先生が、老いで震える自分の手をもどかしく思われながら、それでもいち早く返事をしたためてくださったそのお心遣いが痛く胸を打つ。 老いて乱れた文字しか書けなくなっても、溢れる想いはすぐに形にして相手に届ける。 これもまた、ある意味ではJ先生が若い頃から身につけていらっしゃったフットワークの軽さのなせる技だなぁと思う。 ありがたい2通の葉書は、父さんにとってはそれこそ永久保存版となるだろう。文面の全てを判読する事はいまだに適わないのだけれど・・・。
言葉どおり、さっそく個展会場にいらしてくださったSさんからのメールが届いた。 二人の速攻の決断力とフットワークの軽さに感服する私に 「昨日はたまたまYさんと私のタイミングが合ったことで、決してあのような展開になるとは思わず、この偶然も何だか私にとっては必然的要素があったと感じています。 それこそ、あの作品達に込められた作者の魂が誘って下さったのではないでしょうか。」 といってくださった。 偶然の機会を、逃さず受け止める準備姿勢をとっている事。それがいわゆるフットワークの軽さにつながる人生の知恵なのだなぁと改めて教えられた。
|