月の輪通信 日々の想い
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2005年06月18日(土) 待ち合わせ

父さんの個展の作品が次々に仕上がってくる。
なだらかな古都のシルエットの浮かぶ夕景のお茶碗。
涼やかな風の音が聞こえそうな竹林の水指。
一冊の絵本を見るような陶額の小品。
私の目から見るとどれも夢のように美しくて、「きっとこれもすぐに買い手がついて、手元から離れていってしまうのだな。」と胸がきゅっと痛くなる。それでも、父さん自身にとっては、どれほどよい作品が出ても、まだまだ充分満足とはいえないらしくて、締め切りが迫るに連れて凹んだりイライラしたり、ついつい感情の起伏が激しくなる。
「まだまだやりたい事があるのに時間が足りない。」
「思っている表現がうまく出せない。」
「締め切り間際になって、新しいアイディアが浮かんでくる」
毎回毎回、個展のたびに繰り返す作家の苦悩。
父さん、もう、充分いい作品ができているじゃないの。
やり残した事は次の個展で再度挑戦すればいい。
「あと少し」「今度こそ」をいっぱいやり残していくからこそ、父さんの仕事は次に続いていくものなのだから。

夕方、父さんは仕事を中断して、額縁屋さんへ出かける。
焼きあがった小さい陶額の額装を頼みに行く。
いきつけの額屋のOさんは父さんの大学の後輩で、ご自身も版画家として活躍しながら、額縁屋さんのお仕事もなさっている。サイズもイレギュラーで絵画よりもずっと厚みと重さのある父さんの陶額を、あれこれ工夫して額装してくださる。その作業は、とても緻密で几帳面。小さな妥協も許さず、何度も採寸し、微妙な違いを何度も修正しなおして丁寧にしあげてくださる。締め切りぎりぎりに捻じ込むように無理な注文をつけても、いやな顔をせず、何とか間に合うように苦心してくださる。これもまた見事な職人技だなぁとつくづく思う。
近頃父さんが力を入れている葉書サイズの風景の陶額は、Oさんの確かな額装の技術と出会ってこその新機軸だ。

父さんがOさんと打ち合わせをする間に買い物をと思い、父さんの車に便乗、額縁屋さんの近くのスーパーでおろしてもらった。
いつもと違うスーパーで、夕飯の一品や閉店前の見切り品をあれこれ買って時間をつぶし、駐車場の入り口で父さんを待つ。
「30分ほどかかるかな。」
といっていた待ち合わせ時間、予想通り大幅延長。
職人気質のOさんと強いこだわりを持つ父さんの打ち合わせが、予定より早く終わるわけがない。
ビュンビュンと通り過ぎていくよその車を何台も何台も目で追って、父さんの車を探す。

久しぶりだなぁ、待ち合わせ。
結婚前のデートの時には、よくこんな風に父さんの車が迎えに来てくれるのを待ったものだ。父さんは昔っから遅刻の常習犯。仕事の性格上、出掛けに不測の仕事が振って沸いたり、前の用事がずれ込んだり・・・。あの頃はまだ、携帯電話も今ほどは普及していなかったから、ひと気もまばらになった駅前とか、埃っぽい国道のバス停だとかいろんな所で父さんの迎えを待った。デートはいつも「待つ」ことからが始まりだった。
出会いの時から既に、私たち夫婦には「待つ人」「待たせる人」の役割分担が出来上がっていたのだなぁと可笑しくなる。
待ち合わせ時間に遅れた父さんが、きょろきょろとあたりを見回して私の姿を探しながら近づいてくる、その瞬間が私はいまだに好き。
結婚して15年。
私の「待つ人」生活もすっかり板についた。


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