月の輪通信 日々の想い
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久しぶりに用事で小学校の職員室に行ったら、W先生が大ぶりの花器に奔放にのびた紫のセージをたっぷり活けておられるのに居合わせた。一年生の教室の前の花壇にたくさん咲いているのだという。 近頃あちこちの花壇で見かけるセージの類は、適地を見つけるとドンドン株を太らせ、種子を撒き散らし、勢力範囲をぐいぐい広げていく。 「この紫のセージはラベンダーセージ。」 もてあまさんばかりの豊かな葉っぱと惜しげもなく散り急ぐ紫の花弁をなんとか花瓶に収めて、W先生が笑う。W先生は、以前にストレプトカーパスの鉢植えを下さった園芸のお好きな先生だ。 「アプコちゃんに、今日、花の名前を教えといたんだけどなあ、きっと忘れちゃってるね。」 一年生の教室の近くには、赤い花の咲くパイナップルセージの株もあって、その葉っぱからはパイナップルに似た甘いにおいがする。その葉っぱをアプコに見せて「パイナップルセージ」という名前を教えてくださったのだという。みずみずしい緑の葉っぱを手渡されて、小首をかしげながらくんくんとその匂いを嗅ぐアプコの姿が思い浮かんで、何とも微笑ましくなった。
帰宅するとアプコがさっそく頂いてきたセージの一枝を見せてくれた。 途中お友だちのKちゃんの家に寄り道したアプコは、Kちゃんのお母さんにも見せ、しなびてしまわないようにコップの水に浸してもらっていたのだという。 「ねぇねぇ、いい匂いがするよ」アプコは家族全員の所を回って、みんなにくんくんさせてくれた。 まだ花もつぼみもない一枝を、大事に大事に持ち帰ってくる一年生の愛らしさ。 「なんていう名前だったっけ?」と聞いてみると 「パイナップル・・・なんだっけ」と自分の好きな果物の名前だけを記憶しているのがご愛嬌。
「アプコ、お花を花瓶に挿すときには、下のほうの葉っぱはとってね、水に葉っぱが浸からないようにしないといけないよ。葉っぱが腐って水が汚くなるからね。」 この春から学校のクラブで生け花を習い始めたばかりのアユコが教える。 ガラスのコップに挿したアプコのセージの下葉をきれいに取り除いて、活けなおす。 「ほぉ、いいこと知ってるんやねぇ。」 母が教えようとも気づかなかった事を、学校で習ってきたばかりのアユコが幼い妹にさりげなく教える。 これもまた、なんだかちょっといいなぁと思う。
「ところでアユコ、この間あなたがいけてくれたお花、そろそろ片付けておいてね。なでしこのつぼみももう咲かないみたいだし。」 週に一度、クラブの稽古で頂いてくるお花はアユコが工房の玄関や自宅におさらいを兼ねていけなおしてくれる。日が経ってしおれたり、散ったりしたお花を始末するのもアユコの役目だ。 気温が高くなり、いけた花の持ちもだんだん悪くなり、油断をすると花弁を落として軸だけになった百合や開花を見ずに固く萎んだカーネーションがいつまでも醜態を曝すことになってしまう。
「一番きれいなときを過ぎてしまった切花は早く片付けてやらないと可哀想。しおれた花なら飾らないほうがまし。」 実家の母は昔、そういって盛りを過ぎた花瓶の花を長く放置しておくのを嫌った。 なるほどなぁと思いつつ、でもまだもしかしたら咲くかもしれない小さなつぼみや散りゆく間際の美醜の狭間すれすれの彩りを残した花弁を捨て去るには忍びなくて、花首を折る手元が逡巡したのを思い出す。 「花は盛りの一番美しいときを愛でる。老いさらばえた姿を人目に曝さない。」という心使い。 儚げな草花ばかりを好む母の美意識。 最後の一輪が息絶えるまで、見守ってやりたいという私の躊躇。 年齢を重ね、女としての一番美しい季節を既に見送った母は、そして私は、いつから迷うことなく盛りを過ぎた切花を手折ることが出来るようになったのだろうか。
そんな思いを打ち消すように、アユコに枯れたお花の処分を促す。 若く、美しく、これから花開かんとする青いつぼみの年齢を生きるアユコには、花弁を落とし終焉を待つばかりの百合の心情は理解できない。 ましてや、赤い花とも白い花とも見当のつかない幼いアプコには、美味しいフルーツの香りのセージの小枝が似つかわしい。 ガラスコップに近づくとほのかに甘い果実の香り。 食いしん坊の鼻がぴくぴく動く。
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