月の輪通信 日々の想い
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毎日。好天気が続く。 「ただいま」と帰ってきた子ども達が冷蔵庫へ直行する事が多くなった。牛乳と冷やしたお茶の消費量がぐぐんと増える。 また夏がくるんだな。
「おかあさん、今日の宿題、本読みぃー!」とアプコが飛んでくる。 一年生の宿題といえば、ノート1ページ分のひらがなの練習と簡単な一ケタの足し算のプリント、そして国語の教科書の本読みだ。 ほんの数行の文章を音読みしては「本読み表」に読んだ回数と保護者のサインを記入する。 本読みとはいいながら、授業や宿題で何度も何度も繰り返し読む文章はほとんど暗記していて、教科書がなくても暗誦できるくらいになっている。 ちゃらちゃらと教科書を片手でぶら下げて、歌うように節をつけて教科書の文章を繰り返し読む。
「おかあさん、この文章ちょっと嫌いなんだよ」アプコが浮かない顔で教科書を見せる。 「ともだち いるよ/いっぱい いるよ/いちねんせいだよ/みんな みんな/あっはっはっは/いっぱい いっぱい」という単元。「ちっちゃい『つ』」といわれる促音を始めて習うページらしい。 「『いっぱい いっぱい』でお話が終わるのって、なんか変だなぁ。ここじゃなくて、どこかほかのところに入れたほうが読みやすいのに・・・」 と不満そうに言う。 「それにね、『あっはっはっは』っていうのもね、『は』が一回多いんじゃないかな、なんか変なんだ。」 どうやら繰り返し本読みを繰り返すうちに、読みにくい発音や言葉のリズムの合わないところが出てきて、それが気になって仕方がないらしい。 確かに普段アプコが音読するのを聞いていると、なんだかいつも同じところで微妙な違和感を感じたり、微妙にリズムが外れたりして気にかかる箇所がある。 ようやく五十音を学んだばかりの一年生にも、文章のリズムの心地よさや、素直に書かれた文章の面白さを味わう力は確かに育っているのだなと改めて驚く。
「国語の本ってね、他にもへんなところがいっぱいあるよ」 と、さらにアプコが教えてくれた。 「さるの だいじな/かぎの たば。/げんかん うらぐち/まど とだな/どれが どれだか/わからない」 これは、濁点のつく文字を習う「かきとかぎ」という単元。 「なんでこのお話には『かき』は出てこないのに、『かきとかぎ』っていう題なんだろう。『さるのかぎ』でいいのに・・・。」 確かに隣のページには、「猿とザル」などとともに、濁点のあるなしで意味のかわる言葉として「柿と鍵」の挿絵も載せられている。 大人の視点からすれば、「かきとかぎ」は挿絵も含めたその単元の名前であって、お猿のお話の題名ではないので、なんの矛盾もない。 けれども、「かきとかぎ」という題名をふくめて何度も何度も音読する子どもにとっては、なんだか余分のものがくっついたへんてこりんな題名と感じられるらしかった。
アプコの指摘にしたがって、久しぶりに一年生の国語の教科書を初めからじっくりと読んでみる。 特に新入学当初の単元は、文字の数そのものも少なくて、一ページにほんの数行。きれいな挿絵はあるものの文章の内容そのものには、あまり面白みも驚きもなくて、なんだかなぁと思ったりする。 子ども達が普段手にする絵本や赤ちゃん向けの絵本などの中には、同じくらいの文字数でも、もっともっと文章そのもののリズムや音読の楽しさに配慮された文章がたくさんあるのになぁ。
えらい先生たちがたくさん集まってお決めになる天下の教科書だ。 これはこれなりに、いろいろと教育的な配慮がたくさん盛り込まれた優秀な教科書なのだろうとは思うけれど・・・。 初めて文字を習う子ども達と同じ目線で、同じくらいたくさん音読して、同じくらい新鮮な思いで評価、改良された教科書であってほしいなぁと思う。
「ひらがな、ぜーんぶならったよ!」と新しいことを学んできた事を嬉々として母に語ってくれるアプコ。 「へんな教科書」に躓くことなく、学ぶ楽しさをいつまでも持ち続けていて欲しいと心から願う。
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