月の輪通信 日々の想い
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2005年05月20日(金) 転がる石

小学校の授業参観。

アプコ、ひらがなの授業。
小さい子ども達が背中をぴんと伸ばしてよそいきのおすまし顔で緊張して授業を受けている様は可愛い。中高生になるとさすがに、デレンとねじれたままひじを突いてよそ見をしていたり、先生の話を聞こえない振りをしてカッコつけたりする子も出てくるのだろうけれど、さすがにぴかぴかの一年生の始めての参観日というのはなんとも初々しい。
心なしか参観する保護者の皆さんまで姿勢がよくなって、私語や雑音も少なない気がする。
お利巧さんね。

ゲン、「石」という詩の授業。
実はT先生の同じ教材での授業を、オニイの参観の時にも見せていただいていて、ああ懐かしいという想いでじっくり見せていただいた。
「いろんな欠点や弱点がいっぱいあってもいいんだよ。
足りない所を補いながら、自分のことを大事に大事に思っていてもいいんだよ」というT先生のおおらかで優しいメッセージが伝わる授業だった。
クイズやら工作やらダジャレやらを織り交ぜた楽しい授業に、子ども達も後ろの保護者もぐっと引き込まれるように気持ちのいい時間を過ごさせてもらった。
授業の最後に、一人の男の子が
「これ、国語の授業とちゃうやん」
と大きな声で発言した。
「国語の授業」という形を借りて、T先生が一編の詩に寄せて贈ったメッセージの意味を、ちゃんと受け止めて呑み込むことの出来る力を子ども達はちゃんと持っているんだなぁと思う。
「よい授業というのは子どもの心を耕す」
学生時代に聞いた言葉を思い出した。

誰にもあまり好かれていなくて、私も「苦手だな」と思っている人がある。
ちまたの評判は確かによくないけれど、私自身は直接にはその人から嫌な思いをさせられたというわけではなくて、何で私がその人のことが苦手なのかその理由ははっきりしない。
今日、その人がはっとするような素晴らしい発言をする瞬間に居合わせた。
その発言の詳細をここで書く事はできないけれど、一人の人間を見るときに、他人の言う評判や偏った一面からだけの判断で全てを分かった気になってはいけないのだなと気がついた。

学校という所は、子にも親にもはっとするような輝かしい学びの瞬間をいつも用意してくれる場所であって欲しい。
そういう学びの空間に、今日も触れさせていただけた事が嬉しい。


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