月の輪通信 日々の想い
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昨年、夏祭りでアプコのためにアユコが掬ってきた5匹の金魚。最初に水槽に話したときには本当に頼りない小さな金魚だったのに、たった半年あまりのあいだにみるみる成長し、アプコが幼稚園友だちのKちゃんから譲り受けた小さな水槽から飛び出さんばかりの勢いである。当然食欲も旺盛で、誰かが水槽のそばに立つと餌が撒かれるのを予測してピシャピシャと水面近くに上がってきたりする。名前を呼ぶと尻尾を振って飛んでくる子犬のようなもので、結構面白い。 近頃では本来の飼い主であるアプコにかわって、ふと見るとオニイがパラパラと小瓶に入った金魚のエサを撒いて水槽を覗き込んでいることが増えた。
「なんだかなぁ、オニイ。金魚にエサを撒いてやって妙に癒されてる中学生って、リストラで窓際に追いやられたしょぼくれたオジサンみたいだねぇ。」 と笑う。 「あはは、そうかもね。実際、何となく癒される気分になるよな、これ。」 と、オニイも笑う。 「ああ、金魚っていいよな、一日中ふらふら、泳いでいるだけでな〜んも考えてなさそうだよね。僕も、今度生まれ変わるときには金魚になろうかな。」 あのね、若者。なんだい、その覇気のない願望は! これから限りない可能性に向かって、邁進してしていこうという時に、君の夢は「金魚に生まれ変わりたい」かい? 別に「ノーベル賞を貰える人になりたい」とか、「総理大臣になりたい」とかそういうことを言えって言ってるわけではない。 でもなぁ、同じ魚類に生まれ変わるなら、サメとか鯨とかもうちょっとこう勢いのあるデッカイ物になりたいとか、言えませんか。 ・・・と、ツッコンだら、 「かあさん、鯨は哺乳類だ、魚じゃない」 と、トドメを挿されてしまった。 母、撃沈。
そんな風にオニイの癒しのために与えすぎたエサのせいか、はたまた世間の気温が上がって急激に汚れ始めた水槽の掃除を「また明日ね。」と一日伸ばしにしていた怠慢のせいか、ある朝突然4匹のうちの一匹が死んだ。 前の晩、ぷかぷかと斜めになって泳いでいたかと思ったら翌朝には水面に腹を見せて浮かんでいる。 「あ〜あ、死んじゃったよ。」 アプコが掬い上げて、庭の隅に埋める。 「また、いっぱい金魚アリが増えちゃうよ。」 アプコは、昨年の夏に死んだ金魚の銀ちゃんのことをまだ覚えているらしい。 「金魚の銀ちゃんの死骸をアリさんが食べたら、新しい銀ちゃんアリが生まれてくるよ」 と食物連鎖の運命をあどけないファンタジーとして理解していた昨夏のアプコが、「また、いっぱいアリが発生したら難儀やね。」というようなおばさん発想で金魚の死を憂えるようになったのは、果たして成長といえるのだろうか。
追い立てられるように水槽の水かえをしたら、それまで死んだ金魚と同じようにアップアップと水面近くで弱っていた他の4匹の金魚たちもあっという間に元気になった。 心なしか赤い色がさめたようになっていた一番大きい金魚も、半日立つと赤い色がほぼ元に戻った。酸素不足で衰弱して色が悪くなっていたのだろう。 「金魚にも『顔色が悪い』ってのがあるんだね。」 といったら、母よ、それは違うと、オニイからふたたび醒めたツッコミ。 相済みません、母が馬鹿でした。
生き残った金魚は、一番大きいメスの金魚と3匹のオスの金魚。 きれいな水に慣れると、翌朝にはもう水面を激しくビシャビシャ鳴らして、交尾のためのおっかけっこが始まった。この春、もう何度目の交尾行動だろう。 つい昨日、一家揃って危篤状態で息も絶え絶えになっていたというのに、全く現金なヤツラである。 三匹のオスが互いを牽制しながら激しくデットヒートして、メスの尻尾を追う。まさに逆ハーレム状態。 思えば、前日死んでしまった金魚もオス。4対1の嫁とりバトルに敗れた後の過労死だったのかもしれない。 それほど、コイツらの繁殖行動は激しい。
「元気になってよかったね」と単純に喜ぶアプコの傍らで 「紅一点というのも、なかなかつらいもんだねぇ。オスはホントに大変だ。それにしてもちょっと激しすぎるよね。」 とオニイだけに囁く。 兄弟の中で、唯一その「激しい」と言う言葉の二つ目の意味をおぼろげながら理解しつつある思春期のオニイ。ちょっと恥らってへらへら笑う。 「見てみ、オニイ。外から見ると『癒し系』の金魚の世界にも、いろいろストレスはありそうだよ。」 人間様の世界でも、昨今は適齢期なのになかなか伴侶を見つけられない非婚世代が増えている。女性よりも男性の方が理想の配偶者探しには困難を伴うのだという。 「オニイ、アンタも今からしっかり男を磨いて、かわいい彼女をゲットしてね。並み居るライバル押しのけてね。金魚なんかで癒されてないでサ。」 そちらのほうにはトンと興味のない清純派のオニイに、母の反撃。 「はいはい、判ってますよ。」 今度はオニイがあっさりと白旗を揚げて退散していく。 今年、オニイは受験生。 癒されてばかりもいられないのである。
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