月の輪通信 日々の想い
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ひいばあちゃん入院9日目。 ベッドの上で相変わらず、「退屈やなぁ」と寝たり起きたり。見た目は普段どおりに元気なだけに、病室のカーテンの中で過ごす単調な一日は本当に長く感じる。「家に帰ったらなんなと仕事が溜まっているはずやのに。」と家を恋しがっておられる。 「ひいばあちゃんがやり残してきたお皿の裏の釉薬掛け、かわりにあたしもやってみたけどなかなかひいばあちゃんのように手際よくは行かんわ。」と仕事の話をし始めたら、興に乗って仕事場の話を長い事喋ってくださった。
「ここへ来る前にな、にいちゃん(義兄)かおとうちゃん(義父)かのために水指やら何やらこしらえて、かこて(囲って)きてあるんや。あれがどないなってるんか、気になってなぁ。」という。 ひいばあちゃんは、釉薬掛けの仕事のほかに、義父や義兄の作品のために水指やお茶碗の原型ともいえる大まかな形を手びねりで拵えておく仕事をもう何年も続けてこられた。 ひいばあちゃんがひねっておいた荒型を義兄や義父が削りをかけたり、装飾をつけたりして作品として仕上げていく。こういう分業は窯元では古くからよく行われている。作品には窯元としての義父や義兄の印が押され、原型を作ったひいばあちゃんの名前は表にはどこにも出ない。 そんな裏方の職人仕事をひいばあちゃんは何年も何十年も黙々と続けてこられたのだ。 「自分の作ったモンがなぁ、にいちゃんやおとうちゃんが仕上げしてくれて、思いもかけん作品になって仕上がってくるのンがホンマに面白いんや。 仕事というのは面白いモンやなぁ。」 としみじみおっしゃる。 少女の頃から、窯元の仕事場に入り、延々と職人仕事をこつこつと努めてこられたひいばあちゃん。窯元の作品として世に出ている作品の中には、ひいばあちゃんが釉薬掛けの合間にこつこつと手びねりで拵えた原型から仕上られた作品が数え切れないほど多い。 この皺だらけの小さな手から、一体何百個の作品が生まれたのだろうと考えるとなんだか気が遠くなりそうになる。
「97歳になっても仕事は楽しいですか。」と訊ねると 「ああ、楽しいなぁ。夜、寝るときに『今度はどんなモンを作ったろうか』『明日は何の仕事をしようか』と考えるのが何より楽しい。」と、夢見るような笑顔で答えてくださる。 ひいばあちゃんのご機嫌に乗じて、もうひとつ、日頃訊ねた事のない質問をしてみた。 「ひいばあちゃんはたくさん作品を作るけど、一個もひいばあちゃんの印を押した作品はないでしょ?それでも楽しい?」 「ああ、楽しい。作ったモンには『吉向』の印が押してあったら吉向の作品やからそれでええんや」 と即答してくださった。 何年も何年も縁の下の仕事をしていていたら、いつかは作品に自分の印を押してみたいとか、自分の名前で作品を世に問うてみたいとか、そういう欲目というか作家志向のようなものは現代の人たちの思うことなのだなぁ。一生こつこつと職人仕事に徹して、その作業そのものを心から「楽しい」と思い続けることの出来る明治の人の静かな職業観の確かさ、豊かさに感嘆してしまう。
「家に帰ったら、さぞかし釉塗りの仕事が溜まっているやろうな。」 父さんはいつも、数物のお皿の釉薬掛けの仕事がたまると、「おばあちゃん、やっといてや。」とひいばあちゃんに声をかける。ひいばあちゃんも歳を取ってその仕事のできばえに時々不都合が出ることもあるけれど、それでもひいばあちゃんの熟練の手が空いた時間にこつこつ仕上る下仕事はまだまだ仕事場の大事な戦力でもある。 また、高齢を慮ってひいばあちゃんからいつもの仕事を取り上げたりしたら見る見るうちに気力も衰えてしまわれるかも知れないという心配から、わざわざひいばあちゃん向けの仕事を残しておいたりする事もある。 「ひいばあちゃんの釉塗りのお仕事、代わりに私も手伝ってみたよ。」と 仕事の停滞の心配を解いて差し上げようとしながらも、「やっぱりひいばあちゃんのようにはうまくは行かんね。さすが97歳の年季やね。」とうんと持ち上げておく。
「いろいろあるわなぁ。」 ひいばあちゃんは口癖のように何度も繰り返して呟いておられる。 「仕事は楽しい。土を触っていると時間がたつのも忘れてしまう。ここ(病院)は何にもすることがないから、時間がなかなか過ぎひんなぁ。」 間仕切りのカーテンで仕切られたひいばあちゃんのベッドには外の日差しや風が直接入ることはなくて、なんとなく時間の概念が狂ってしまいがちだ。時々夕方の4時を明け方の4時と勘違いしておられる事もあって、 「なかなか夜が明けへんなぁ。」と何度も何度も目覚まし時計を撫で回しておられる。 「夜が明けるまで仕事をせんならんときもあるんよ。そんなときもあるんやけど、まぁ、楽しみやな。うん、うん。」 たくさんお喋りして、笑って、ひいばあちゃんはまたうとうとと眠ってしまう。耳の悪いひいばあちゃんはご自分も大きな声で話すので、たくさん喋ると心地よく疲れるのだろう。 ほんの5分か10分、うとうととまどろんでいたかと思ったら、ふわっと目が覚めて、先ほどの話の続きをポツポツ語り始めたりなさる。 そのきまぐれなインターバルをはさんだひいばあちゃんとの会話が、私にはひいばあちゃんの言葉をうんと咀嚼する時間を与えられているようで、心に染みる。
日頃、家ではひいばあちゃんとは「お茶いれようか。」とか「TV変えてもいい?」とか日常の短い会話をかわすことが多かった。耳が遠くて複雑な会話には時間がかかるし、間に義父や義母の通訳や子ども達の茶々が入ったりする。 今回、入院の付き添いという事でひいばあちゃんと一対一で長い時間を一緒に過ごすという機会を与えられた。ひいばあちゃんの頭の中にある人生の知恵とか仕事への哲学とか、豊かに刻み込まれた金の言葉の数々を真新しい奉書紙に包んで押し頂いて持ち帰る。 97歳の皺だらけのひいばあちゃんのたくさんの豊かな記憶や想いが、高齢による衰えや難聴による会話の不便のためにその小さな体の中に封印されて、おそらくはその多くが語られることなく閉じていくのだという事実が誠に惜しい、もったいないことだなぁと深く感じる。
もっとも、ひいばあちゃん自身にとっては、そんな貴重な記憶も想いも「語るに足らない自明のこと」に過ぎないのだということが、本当はひいばあちゃんの偉大さの由縁なのでもあるけれど・・・。
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