月の輪通信 日々の想い
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2005年03月07日(月) 閉ざされた門

休み明け。
相変わらず寝起きの悪い子ども達は大慌てで朝食をとり、あわただしく出かけていく。ちょっとぐずぐずモードのアプコはいつもの朝のペースについていけなくて、べそをかく。
卒園式まであとわずか。
アプコは今年まだ一回もお休みしてなくて、「一年皆勤」のごほうびをずいぶん楽しみにしているものだから、「今日はやすみた〜い」とも言えないらしい。ちょっと風邪気味な事もあって、「たまには、いいか」と園バスを断ってお車登園で甘やかしてみる事にする。
ほんの十分あまり、コタツでうだうだしながら朝の子ども番組をながめていたら、あっという間に「幼稚園、行かなくっちゃ!」の元気も出て、「おかあさん、早く早く!」と車に乗り込む。
子どもっていうのは、ほんのちょっとの甘えん坊で「イヤだなぁ」の気分がきっぱり晴れることもある。
それは多分、大人もね・・・。

で、出かけようと思ったら、ゲンの忘れ物に気が付いた。
昨日アイロンをかけた給食のエプロン。
ありゃりゃ、やっぱり忘れてったよ。
しょうがないので、アプコを幼稚園に送るついでに届ける事にする。

ちょうど小学校に着いたのは1,2時間目の授業中。
体育館やら教室からかすかに声は聞こえるけれど、運動場や児童用の玄関には人影もない。
寝屋川の事件以来、市内の小中学校の校門は子ども達の登下校時間以外は厳しく施錠されることになった。
学校を訪れる保護者やその他の来校者は校門横のインターホンで職員を呼んでナンバー式の南京錠を開けてもらって中へ入る。四六時中インターホンの番をして、来訪者があるたびに職員室から鍵を開けに走らなければならない先生方は大変だ。
保護者の方でも、何となくいちいち鍵を開けるために人を呼ばなければならないのが気詰まりで、ちょっとした忘れ物を届けたり、急な雨に傘を届けたりという些細な用事で学校を訪れるのが億劫になったりする。私はたまたまPTAの役員の仕事でしょっちゅう学校に出入りするので、南京錠のナンバーを内緒で教えていただいたが、かといって重い門扉にじゃらじゃらと真新しい鎖につながれた南京錠を、黙って自分で開けるのにも何となくちょっとした戸惑いも感じたりもする。
それも子どもらの安全のため。
少々の不便は致し方ないことなのだろう。

車を降り、校門に近づくと人影がある
立ち木の向こうに見え隠れするのは大柄だけれど大人ではなくて、何かの事情で遅刻してきた高学年の男の子だった。ランドセルを背負ったまま所在なげな様子を見ると、生徒用の通用門が施錠されているので仕方なく正門の方へ回ってきたものらしい。
「おいで、鍵開けるから一緒に入ろう」
と手招きすると、ことばもなくのろのろと寄ってきて一緒に校内へ入る。
体調が悪くて遅刻してきたのかな。
月曜日、今朝のアプコのように「なんか学校行きたくな〜い」の気分で仕方なく登校してきたのかな。
去年の春、過敏性腸炎を伴う不登校で、何度も定刻に登校できないオニイを「遅刻でも気にしなくていいから・・・」となんとか送り出していた母としては、とぼとぼ項垂れて歩いてきて鍵の閉まった校門の前で途方にくれる男の子の姿になんとも心が痛む。
もちろん、インターホンを押しさえすれば職員室からすぐに先生がとんできてくれて「おはよう!」と迎えてくださる事は彼にもきっと判っているのだろう。
それでもやっぱり重い鉄扉にかけられた新しい南京錠の存在は、定刻を遅れて一人で何とか登校してきた彼にとっては、気の重い校門の敷居を高くしてしまう。もしかしたら、くるりときびすを返して登校せずに帰ってしまうこともあるのではないだろうか。

本当なら学校の門は、いつも入ってくる人に対して大きく開かれている方がいい。
今にも降り出しそうな空模様に、母親がそっと我が子の靴箱に傘を置いてくることができるように。
何となく凹んで誰かの励ましが欲しい卒業生がふらりと訪れて恩師の笑顔をうかがうことが出来るように。
遅れて登校した少年がそろりと目立たずに教室に滑り込む事が出来るように。
そういう当たり前の暖かさで訪れる人を迎えることの出来ない閉ざされた門は悲しい。
私たちのK市では市内の公立の小中学校全部の門にオートロック式の施錠とインターホンの導入がいち早く決まった。インターホンが鳴るたびに先生方が慌てて鍵を開けに走る不便はかなり軽減されるだろう。
施錠された門扉を中から開けてもらって入れていただく心理的な負担も慣れれば少しは軽くなるのだろうか。
オートロックや防犯ベル、警備員に守られなければ、安心して学校生活を送る事の出来ない現代の子ども達は、決して恵まれてはいない。


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