月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
近頃、夫がちょくちょく仕事場から自宅へ帰ってくる。 格別何か用事があるわけでもなく、何となくコーヒーを飲んだり、「15分だけ寝る」とタイマーをかけて居眠りをしたり・・・。 そうかと思うと、休日には突然子ども達と一緒に出かけようと言い出したり、やたらと外食したがったりする。 忙しくて忙しくて、猫の手も借りたいはずなのに「なんか、ぱーっと面白い事ないかなぁ。」なんて呟いたりする。 そして時には、いきなりツンツン苛立った表情で帰ってきたかと思うと、一人でやたらとため息をついていたりする。 「よおし!がんばろ!」と誰にともなく声をかけて、拳を固めて再び仕事場に帰っていったりする。
締め切りに迫られた気の張る大作の制作中なのだ。 三彩の大壷の焼き上がりが思うように行かなくて、何度か釉薬をかけなおして焼き直しを繰り返しているらしい。 陶芸の作品は、窯の炎に全てをゆだねた一回限りの芸術のようにも言われるが、こと三彩に関しては何度か焼き直す事によってより味のある釉薬の流れを生み出したりすることもある。 ○○サスペンスなどのドラマの中ではよく、気難しい陶芸家が窯から出たばかりの作品に得心が行かないからとその場で地に叩きつけて壊してしまうシーンが描かれるけれど、実際には一旦焼きあがった作品を再び焼直して改良したり、作品を仔細に調べて原因を検討したり、気に入らない作品に結構長い事こだわって関わっていたりするものだ。 さすがに一発でスパーンとうまく仕上がった作品の爽快さはないけれど、出来不出来に関わらず自分が作り出した作品への強い愛着と思い入れがそこまでのこだわりを生むのだろう。 背中を丸め、窯から出たばかりの作品の瑕疵や不具合をいつまでも惜しそうに見つめる夫の後姿を、私は必ずしも女々しいとかかっこ悪いとは思えない。
釉薬掛けの途中で乾燥を待つ間とか、焼成中の窯がとまるまでの30分とか、わずかな空き時間に帰ってきては、所在なげに家の中をうろうろしてたわいないおしゃべりをして、再びふらりと仕事場へ戻っていく。 ワクワクと調子よく帰ってくることもあれば、ペションと凹んで言葉すくなく帰ってくることもある。 昼間、がしゃんと玄関が開くたびに、帰ってきた夫の表情や声の調子で工房での仕事のはかどり具合をそっと伺うのが癖になった。 先日、ネットで見つけた京都の陶芸作家の奥様のエッセイでも、同じように仕事の合間にしょっちゅう自宅へ帰ってきてはお茶を飲んだり、急に「出かけるぞ!」と言い出したりする作家の日常が描かれていて、「ああ、ここのうちでもそうなんだな」と妙に親近感を覚えた。 上機嫌も激しい落ち込みも全ては窯の出来次第。 仕事場と家庭が直結している窯元や作家の宿命と言うものだろうか。
「よし、気を取り直して、もう一回!」 夫が自分に気合を入れなおして立ち上がる事が多くなった。 「父さん、このごろなんだか号令ばっかりかけてるネェ。まるで、試験前のオニイとおんなじだぁ。」 と笑って夫を送り出す。とってももどかしい事だけれど、奥さんにできる事と言えば、帰ってきた夫に熱いお茶を入れたり、夕餉の膳に好物の惣菜を一皿添えたり、そんな些細なことばかり。 号令と言うものは、自分で自分にかけるしかないものなのだなぁ。 がんばれ、父さん! すたすたと工房に戻ってい夫の背を、かちかちと火打石を打つ想いで今日も見送る。
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