月の輪通信 日々の想い
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2005年02月18日(金) 「もっと歌って」

今日、小学校今年度の参観日。
ゲンは学年全体で「飛べないホタル」のオペレッタの発表。
アユコは担任のT先生の音楽の授業。
どちらも見逃したくないので、校舎の三階の端っこにある音楽室と反対側の端っこにある体育館の間を駆け足で行ったりきたり。
明日はきっと筋肉痛だ。

アユコの手は、生まれつき指が長くてしなやかな手だ。
アユコが生まれたとき、「ああ、この子はきっと上手にピアノが弾ける」と嬉しかったのを思い出す。私自身は子どもの頃、手指が短かくいつまでもオクターブの和音が届きにくくて、なかなか上達しなくて悲しい思いをしたからだ。
4歳になったアユコはさっそく近所の音楽教室に通うようになった。綺麗なお姉さん先生のピアノに合わせて、同年代の友だちと歌を歌ったり合奏をしたり。小さい幼児の手が白い鍵盤の上でたどたどしく動き回るのがなんともかわいらしくて、親バカ全開で早々に本物のピアノの購入を算段していたものだった。
ところが2年目の冬、初めての発表会の課題曲に少し高度なアレンジの曲が選ばれた。当時からこつこつ生真面目だったアユコはその中でも一番難しくてよく目立つパートを割り当てられた。その日から親子で涙涙の猛特訓が始まったけれど、最終リハーサルの時になってもちっとも上手に弾きこなすことができなくて、親子ともども冷や汗の出る思いで本番を迎えた。
発表会の当日、なんとか目だったミスもなく演奏を終えたけれど、舞台から降りてきたアユコは、きっぱりと「音楽教室を辞める」と宣言した。
アユコの音楽デビューは失敗だった。

小学校に入っても、アユコには楽器を演奏する事に何となく苦手意識が残っていたように思う。クラスで合奏をするときにも、アユコはたいてい比較的演奏の簡単な打楽器や大勢で一緒に演奏するパートばかり。ピアノや電子オルガンのような鍵盤楽器をうけもったことがほとんどない。
アユコと同じ位の年頃からレッスンを続けていた子ども達が、高学年になってショパンやモーツァルトを上手に弾きこなすようになっていくのを見るにつけ、小さいときに音楽との上手な出会い方をさせてやれなかったことに心が痛む事も多かった。

そして今日、T先生の音楽の参観授業。
皆で練習してきた「TUNAMI」の合奏をするという。
T先生はいつも子ども達にも人気のあるアニメのテーマソングやテンポのいい曲を選んで合奏させてくださる。
アユコはその中で、初めて電子オルガンのパートを選んだ。
出だしの数フレーズ、ほとんどソロで主旋律を弾く部分があって、めちゃくちゃ難しいのだと、家でもアプコのおもちゃ代わりのキーボードでひそかに練習していたようだ。
教室の一番奥の電子オルガンの席に着いたアユコは確かに緊張で硬い表情。
たどたどしく、もつれるように出だしのソロを弾き始めたときには、見ている私までぐっと拳を固めてしまう。
なんどか演奏を繰り返すうち、他の子ども達がリズムに乗ってぐっと集中していくのが分かる気持ちのいい時間だった。T先生の元気のいい指揮が張り切りすぎる子ども達を抑えたり、遅れがちなパートを引っ張りあげたり・・・。
「自信持って、もっと歌って・・・」
途中、T先生が電子オルガンの方に向かって、言葉をかけた。
緊張したアユコの顔が柔らかにほころぶ。
唇をきゅっと噛んで、緊張して鍵盤に向かうアユコの事を、T先生はちゃんと見ていてくださったのだな。

生真面目で自分に課せられた事はきっちりとこなそうと肩肘張って頑張っているアユコに、歌うようにおおらかに楽しむ事を教えてくださったT先生の言葉が身に染みて嬉しかった。
演奏を終えて、ホッとした表情でたちあがるアユコの笑顔が愛しくて涙が出そうになった。


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