月の輪通信 日々の想い
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2005年02月09日(水) いつかくるその日

ここ数日の雨で、室内に生乾きのまま溜まった洗濯物。
今日は久しぶりの晴天でぽかぽか陽気だと天気予報が言うので、張り切って戸外に干すつもりで洗濯機を回してから、子ども達を送りに出た。
父さんは義兄と一緒に信州へ日帰り出張で、昼間は帰ってこないので「今日はしっかり家事をやっつけるぞ。」と思っていたら、父さんの携帯から電話。
「ひいばあちゃんの調子が悪いらしい。
何度呼んでも起きてこないというから、急いで様子を見に行って来て。
状況によっては救急車を呼ぶように。」
出先の車中から工房に電話して、義母から訴えを聞いたが、どうも様子がわからないらしい。あわてて、掃除機を投げ出して工房へ向かう。
いつも元気なひいばあちゃんも御年97歳。
普段達者なだけに、何かあって呼ばれると胸がドキドキする。
「いつかは必ず、その日が突然にやってくる。」
考えないようにしているその事が、いやでも頭に浮かんで苦しくなる。

結局ひいばあちゃんの不調は先日来の風邪で、義母が呼んでも熟睡していてなかなか目覚めなかったという事だったらしい。
義父がすすめた吸い口のお茶を一口二口飲み、ちゃんと受け答えもはっきりしていらしたので、まずは一安心。
「大丈夫そうよ。ちゃんとお話してはるし、お義父さんが何度も様子を見に行って下さるから。」と、折り返し父さんに電話して、へなへなと力が抜けた。
父さんや義兄のいない時には、従業員の人たちがいてくださるとは言うものの、実質義父、義母、ひいばあちゃんの老人世帯になる。三人とも日頃は元気に立ち働いておられるので、何と言う事はないのだけれど、ひとたび誰かが不調になると、心配の種は尽きない。
家事の合間にたびたび工房の様子を見にはいくものの、今日のようなことがあると、私だけでは判断のつかないことや、どう対処していいのかわからないことばかりで、うろたえてしまう。
高齢の人とともに暮らすということは、いつもそういう不安を心のどこかに潜ませて過ごすという事だ。
今は健在な義父と義母が、一手に抱えてくださっているけれど、徐々に、義兄が父さんがそして私が、その不安を引き受けていかなければならないときが来る。
着実にその日は近づいているのだという事を、改めて実に染みて感じる事件だった。

「さてさて、洗濯物を・・・」
と、洗濯機の蓋を開けたら、また工房から電話。
月参りのお寺さんが見えたという。
あわてて、我が家のお位牌をかかえて、工房へとんぼ返り。
お経を挙げてくださっているお坊さんの脇から、「遅刻しました!」とささやいて、次女の小さなお位牌をお仏壇の隅に加えさせていただく。
義母は、「お仏花をあげてなかった。」とあわてて、冬枯れで花のない庭へ花鋏を持って出て行ってしまう。
義父は、いつもお渡しする御回向料のお包み用のお札の算段をなさる。
黙々とお経を読まれるお寺さんの後ろで、バタバタとお茶の用意をしたり、お懐紙を探したり。
月に一度決まった日においでになる月参りなのに、いつでも「ありゃ、大変!」とお寺さんの姿を見てからあわてて支度をする事も多くて、笑ってしまう。いつもなら皆が右往左往している時にも、ひいばあちゃんがおっとりとお寺さんの後ろに座っていてくださって、お仏壇周りの支度も何かと指示して下さるので、こんなにバタバタすることはないのだなぁと思う。
いつもちんまりとテレビの近くの席に座り、仕事の合間にうつらうつら居眠っておられるひいばあちゃんの存在が、まだまだこのうちの中では大事な柱の一つになっているのだなぁと改めて思う。

お寺さんを見送って、ふたたびうちへ帰ってくるともうお昼前。
いつのまにか、朝のうちの濃い霧が引いて、天気予報の予言どおりぽかぽか陽気になっている。
ホントならこんな好天気に溜まった洗濯物を干し損ねたら、なんだかとっても大損をした気分になって、慌てて干し物を始めるのだけれど、朝から2連チャンの大騒ぎにホッとしてついつい作業の手が止まる。
雨上がりのキラキラ光る木々の梢を眺め、暖かな日差しに胸を張る。
再び戻ってきた穏やかな日常の一こま。
「いつかくるその日」の不安を晴らすように、パンパンと洗い立てのジーンズの膝を叩いた。


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