月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
三学期になって、アプコの園バスの迎えが車から徒歩に変わった。 「もうすぐ一年生になったら、この道をいつも歩いて帰るんだから。」 とアプコ自身が車での迎えをやめようと言い出したのだ。 小学生になる期待で、う〜んと胸を張って背伸びをしているのがよくわかる。 かさかさと降り積もった山の斜面の落ち葉の中で時々、がさがさっと音がする。小鳥だとかなんだか分からない小動物だとか、そういうものが落ち葉の堆積の中で戯れているのだ。音がするとアプコも私も会話をやめて、音のするほうを見回し、音の正体を突き止めようとするのだけれど、たいがいその存在を認めるのはパタパタと飛び立ったあと。 「かくれんぼ、うまいねぇ。」 アプコが笑う。 二人揃って息を詰めて見届けようとしたものを取り逃がしてしまう間抜けさが何度やっても可笑しくて、アプコは私の手をぎゅっと引っ張ってはしゃぐのだ。 幼い子どもと毎日決まった時間、手をつないで二人で歩く冬はもしかしたら今年が最後になる。10年余り続いた幼稚園の送り迎えの習慣は今年でおしまい。「万年幼稚園児の母」もようやく11年目にして卒業である。
「あのねぇ、おじいちゃんが一番好きな岩って、どれか知ってる?」 アプコが訊いた。 「え?それ、何のこと?岩船神社の岩のことかな?」 「違う違う。あのね、コロちゃんの散歩の時にね、カーブの所の白いガードレールあるでしょ、あそこの大きな岩あるでしょ、おじいちゃんの好きな岩って、あれなんやって。」 「へぇー。おじいちゃんが『この岩が好き』って言わはったの?」 「ううん、言わないけど・・・。でもね、おじいちゃん、いっつもあそこでとまってあの岩を見てるねん。だからきっとあれが一番好きなんやって判るねん。」 その岩は工房から100メートルあまりのカーブに突き出た見上げるばかりの大岩。近頃急に腰が曲がりしょっちゅう腰痛を訴えておられる義父が愛犬を連れて散歩にでる折り返し点。愛犬が用を足す間、義父はガードレールにもたれかかってうんと背中を伸ばし、山の斜面を見上げておられるのだ。 時々コロちゃんの散歩にくっついてお供をするアプコにはその様子が「おじいちゃんはこの岩がだいすき」というふうに見えるのだ。私の知らない所でアプコはおじいちゃんと一緒に何度もこの道を歩き、いつものおじいちゃんの何気ない習慣から誰も知らない義父のひそかな散歩の楽しみをちゃんと感じ取っていたのだ。 「ホントにこの岩、大きいね。誰かが住んでるお家みたい。」 取り立てて変わった形をしているわけでもないその大岩に、山男だか神様だか小人さんだか野うさぎだか、ひそかに住まっている見えない何かの存在がまだまだ幼いアプコには見えるのだ。もしかしたらアプコは、おじいちゃんがいつもその何かとひそかに交信しているのが感じられるのかもしれない。
大岩の反対側の斜面で、今度はガサゴソと大きな音がする。 近くの畑のNさんが、斜面に降り積もった落ち葉を集めておられるのだ。 Nさんは毎年この時期になると、山の落ち葉をたくさん持ち帰り、長い時間かけて堆肥にして自分の畑で使うのだ。道端に止めた軽トラックには落ち葉をぎゅうぎゅう詰めにした米袋がたくさん積んである。何日も何日もかかって、Nさんは急な斜面の落ち葉を着実に少しづつかき集めて持ち帰る。 岩陰や木々のむこうに隠れて、Nさん自身の姿をお見かけする事はめったにないのだけれど、そのあたりを何度か通りかかるたび、Nさんが落ち葉を持ち帰ったあとの黒い土ののぞく地面の部分の面積が少しづつ増えている。気が付くと、かなり広い範囲の落ち葉が取り除かれ、Nさんの一冬分の仕事の後を物語る。 「山中の落ち葉を集める」というとどこか荒唐無稽な比喩のように聞こえるけれど、Nさんの仕事振りはじわじわと着実で、確かな労働の底力を感じる。 「ああ、ここまで、葉っぱ、なくなってるー」 毎日ここを歩くアプコにも、黒い土の見える斜面の広がりでNさんの仕事の進捗状況がはっきり感じられるらしい。地味な作業の積み重ねが、振り返ってみると結構な成果となって見えるようになる。その着実な営みがアプコにはきっと面白いと思えるのだろう。
毎日毎日歩く1キロばかりの園バスへの道すじ。 いつも変わらぬ見慣れたその道のりの中で、アプコの目はたくさんのものを捉え、たくさんの音を聞き、たくさんの見えないものを見る。 そうしてかき集めた色々なものが、ちょうどNさんの集めた落ち葉の堆肥のように、じわじわと熟成を進めて幼いアプコの中に穏やかな肥料となって染み渡っていくのを感じる。 車で走ればびゅんと数分の道のりを、アプコとともにのんびりと歩く日々の楽しみを惜しむように味わう。 幸せだなと思う。
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