月の輪通信 日々の想い
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2004年12月22日(水) 光の都

学校帰りのアユコをひっさらって、神戸へ向かう。
加古川のおばあちゃんとのデート第二弾。
神戸、ルミナリエを見に出かける。

少し早めに三ノ宮駅でおばあちゃんと合流。懐かしいさんちかやセンター街から元町の商店街まで、ぶらぶらとウィンドウショッピングしながら三人で歩く。ちょうどアユコぐらいの年のころ、よく母と一緒に歩いた街を娘を交えて歩く楽しさ。
「この店で、よくブラウスを買ったねぇ。」「ここ、前は何のお店だったっけ。」と話題は尽きない。
私の頭の中にあるのは、高校、大学時代に遊びに出かけた震災前の神戸。
両親と買い物に出かけたり、祖母とお墓参りの後で立ち寄ってお昼ごはんを食べたり、友達と日がな一日遊びに出かけた楽しい街。
さすがに20年近くたって、震災を越えて、街の様子は大きく変わったけれどそれでも古くからある老舗の靴屋さんやパン屋さん、寄るのが楽しみだった服地屋さんなど、「ああ懐かしい」と若い頃のワクワクを思い出させてくれる店がたくさん生き残っている。

一方、普段、あまり街歩きの経験の無いアユコ。
もちろん、クリスマスの飾り付けで浮き立つ町を歩く事も、夜の街のにぎわいも初めての経験だ。ちょっと前まで人ごみは苦手と言っていたカントリーガールのアユコも、キラキラした都会のざわめきやさまざまなモノが溢れるショーウィンドウにうきうきと気持ちが弾む。
小さなアクセサリーや新しい靴を熱心に選ぶ楽しげな表情に、この子もこんな事を楽しむ若いお嬢さんになっていくのだなと思う。

南京町で夕食を食べて、いよいよルミナリエへ。
長い迂回順路に沿って、人ごみの中をのろのろと歩く。
片田舎の我が家の近隣に比べれば、その辺の商店のクリスマスイルミネーションだけでも十分ルミナリエだねぇと軽口を叩いていたけれど、最後の角を曲がって光溢れる最初の門を目前にするとわぁっとため息交じりの声が漏れる。綺麗ね、すごいねとアユコの表情もぱっと明るくなった。
出掛けに父さんが念のためにと持たせてくれたデジカメを渡すと、熱心にぱちぱちと写真を撮るアユコ。「写真撮影に熱心なのは、アンタじゃなくてお父さん譲りだねぇ。」と母が笑う。面倒臭がりの私は1,2枚撮ったら面倒がってカメラをしまってしまうのだけれど、しゃがんだり広場の一段高くなった縁石によじ登ったりしてベストアングルを探すアユコの様子は本当に父さんそっくりで笑ってしまう。
最後の広場の大きな円形のイルミネーションの中で、ただただ上を見上げて、「大きすぎて撮れない!」と笑うアユコは本当に嬉しそうで、なんだか胸が熱くなった。

興奮覚めやらぬまま、町の雑踏に戻り、大急ぎで家族へのお土産を選んで、駅へ向かう。ここから母とは分かれて反対方向の電車に乗る。
「快速電車が来たから、乗るね。」と名残を惜しむでもなくあっさりと反対のホームに上がっていく母に手を振る。。
「よかったねぇ、アユコ。おばあちゃんが呼んでくれて・・・。」
「うん、楽しかったねぇ。」
ウルウルとした目で吊り広告のルミナリエの写真を眺め、余韻に浸るアユコ。すっかり煌びやかな街の楽しさに魅了されてしまったようだ。
行きには参っていた満員電車の人ごみすら、都会の魅力のさえ感じているらしいアユコの初々しい興奮が可愛い。

電車を乗り換え最寄り駅に近づくと、街のネオンや民家の明かりもぐっと減る。
「暗いね。」
「うん、山だからね。」
大阪の片田舎、私たちの住む町には華やかなネオンも大掛かりなイルミネーションもない。そして我が家はその中でもひときわ暗い山のふもとにある。
ここで生まれ育ったアユコにとって、はじめてみた夜の神戸の街は華やかな光の都として強い印象を残してくれるだろう。
震災の記憶を持たない若いアユコの中で、明るい煌びやかな憧れの街としての神戸が育ち始める。
これも一つの復興というものだろうか。


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