月の輪通信 日々の想い
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2004年11月13日(土) 出さない手紙

運動会や作品展が終わって、じっくり部屋遊びが楽しめる季節になると、幼稚園の女の子達の間にお手紙のやり取りが急に流行りだす。
毎年毎年、ふしぎなぐらい同じ時期だ。
綺麗な千代紙の裏側とか、可愛いイラストの付いたレターセットの便箋とか、シールをペタペタ貼り付けた色画用紙とか、それぞれ工夫を凝らした小さなお手紙を仲良しさんにあげたり、大好きな先生に手渡したりして、お返事を待つ。
年少組の時には、いたずら描きのような絵ばかりのお手紙だったのに、年中、年長と年齢が上がるごとに、だんだん文字のお手紙になってくる。
文字の配列も不明、「てにをは」はめちゃくちゃ、鏡文字もいっぱい、そのくせハートマークや音符マークがあちこちにくっついた暗号文のようなお手紙。
さすがに貰ったほうもなかなか判読できなくて、「おかあさん、読んで!」と持ってくるのだけれど、こればっかりは母にもよく読めない。

アプコ、ひらがなは全部読めるようになった。
書くほうもぼちぼちうまくなってきた。
まだまだ、鏡文字や書き順違いも多くて読みにくいけど、幼児用のワークブックにたくさん文字を書いたり、しりとりの要領でノートに言葉を書き連ねたりするのは大好きだ。
そのくせ、つい最近までお友達への手紙にはなかなか文字を書こうとしなかった。
「だって、言いたい事は字で書かなくても、おはなしすればいいでしょ。」
確かに相手に直接手渡しする幼稚園児のお手紙には、読みにくい文字で苦労して文字を書くよりも、かわいいお絵かきお手紙で十分用は足りる。でもなぁ、それなら、わざわざお手紙にすることないじゃん。
・・・と幼児のお遊びに要らぬツッコミを入れたりする。

「おかあさん、ちょっとこれ見てよ。」
アユコが小さな紙切れを持ってきた。アプコのお気に入りのレターセットの一枚に、アプコのたどたどしい文字が並んでいる。
「いごのえきおたべたいきはえきやんでかいまほ
あなんのがすですか」(青字は鏡文字。)
アユコと二人、くすくす笑いながら苦心して判読する。
「イチゴのケーキを食べたいときはケーキ屋さんで買いましょう。さあ、何のケーキが好きですか?」
誰に宛てたお手紙なんだかしらないけれど、もしかしたらこれがアプコの初めての作文かもしれない。それにしてはどこかの英会話のテキストの例文のような作り物っぽい文章で、笑ってしまう。

ところで、せっかく苦心して書き上げたアプコのお手紙だけれど、結局翌日園に持っていくのを忘れたり、相手のお友達がお休みだったりして、出さずじまいでほったらかしになるものがとても多い。
ちゃんと相手に渡るのはほんの3割くらいではないだろうか。
うちの中で小さくたたんだ紙切れをあちこちで見かけて、「アプコ〜、これ、お手紙でしょ。持っていかないの〜?」と訊くと、「あ、それはもう要らない」とあっさりした答えが返ってくる。
鼻歌を歌いながら可愛い女の子の絵を描き、苦心しながら文字を並べ、お気に入りの封筒を選んで封をする。
相手がその文字を読もうが読むまいが、誰かのために一生懸命思いを伝える文字をつづるそのこと事自体が文字に親しみ始めたアプコにとっては快楽なのだ。
だから渡しそびれた手紙にはアプコはちっとも執着しない。
それはもうアプコにとって、「書きたい」思いの抜け殻に過ぎなかったりする。

アプコの「出さない手紙」を拾い集めて、判読してみる。
たどたどしい文章も少しづつ長くなり、あちこちに踊っていた文字の羅列が次第に上手に整列し始めている。
知らず知らずの間に、自然と上達しているんだなぁ。
書くこと自体を楽しんで続けている、遊びから学ぶ子どもの能力というのはすばらしい。

ところで。
苦心して一文字一文字書き綴り、書き終わったらもうその内容にあんまり執着しない。そして書いている最中こそが、自分にとっては一番充実している瞬間である。これって、私にとってのweb上の日記にどこか似ている。
日記を公開し始めてはや、3年近く。日々のつれづれに感じた事を独り言のようにぼそぼそと書き綴ってwebにあげる。
それは誰かに宛てた「出さない手紙」を書き溜める遊びに通じる楽しみでもある。
成長盛りのアプコにはとてもかなわないけれど、母の戯れも少しは上達しただろうか。
拾い集めて判読してみる。


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