月の輪通信 日々の想い
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2004年11月04日(木) 蛙、食べる?

大阪の三越がなくなるというニュースが、少し前に流れた。
古くから、うちの窯では、東京と大阪、二つの三越で一年交代で大きな展示会を務めさせていただいてきた。
共に閉鎖になる枚方三越も、その昔、開店に当たって義父がいろいろとお手伝いして道筋をつけたというご縁の深い百貨店である。
数年後の新店舗開店見通しがあるとは言うものの、あの古めかしい造りの古風な百貨店が全く姿を消してしまうのにはさびしさを感じる。

実を言うと私と夫は「お見合い結婚」である。
十数年前、初めて二人を引き合わせていただいたのが、実はこの大阪三越だった。
ちょうど開かれていた恒例の展示会の会期に合わせて、上階の「特別食堂」に見合いの席が持たれ、お仲人や二人の両親と共に松花堂弁当をいただきながらのご対面だった。
震災後、店舗の規模は半減し、特別食堂もなくなってしまったが、「あとは若いお二人におまかせして・・・」の後で、改めてはじめましての会話を交わした小さなティールームは、今もまだおっとりと健在のようだ。
それもまた来春には、なくなってしまうのかと思うと、なんともいえないさびしい気持ちになる。

新進の作家として独自の世界を作り上げつつあったその人と教職3年目で仕事が面白くて仕方のない生意気盛りの私。年齢も10も離れて、共通の話題をほとんどない二人が面と向かって、どんな話をしたのだろう。
ちょうどサンルームになっていた明るいティールームの白いテーブルクロスの模様を指でたどったりしながら見上げた人はニコニコと穏やかに笑っていたけれど、初対面の男性と二人で何を話していいのか分からずに、あたふたと話題を探していたのを思い出す。
そのときの話題の詳細はほとんど忘れてしまったけれど、たった一つ、いまだに「あれは変だったよね。」と父さんと笑い話にしている話題がある。
「蛙、食べた事ありますか?」
私がいきなり切り出した突飛な問いに、真正直に答えを探すその人の慌てぶりが好印象で、ふっと肩の力が抜けた気がした。

私がそんな妙な質問を切り出したのには、その数年前、友達といった中国へのパック旅行の一幕があった。二組に分かれて円卓を囲んだ昼食の席にあたらしい一皿が加わったとき、同席した人たちが悲鳴とも歓声とも付かない声を上げた。
お皿いっぱいに盛り上げられた食用蛙の炒め物。
皿の中を気味悪そうに遠巻きに見るご婦人達。そんな中で、私が同席したテーブルでは「珍しいものはとにかく食べてみなくっちゃ」とリードしてくださる男性がいて、皆は恐る恐るてんこ盛りの中から「平泳ぎの足」を少しづつ取り皿にとった。初めて食べた蛙は意外にも鶏肉にも似た淡白なお味で、さっきまで気味悪がっていた同席者達も次々にお替りをして、あっという間にお皿は空になった。
一方、もう一つの円卓では、「気持ちが悪い」と料理に手をつけられない方がいて、ほかのお皿はみんなきれいに空になっているのに、最後までてんこ盛りの「平泳ぎ」のお皿には手をつけられなかった。
同席者の好みしだいで、新しい食材との出会いを心から楽しめるかどうかが、大きく違ってくるという事を痛感した出来事だった。

人生の伴侶を選ぶにあたって、新しい物と向かい合ったとき、その状況を面白がって一緒に楽しむ事ができる鷹揚さを持ち合わせた人を選びたい。
その頃の私の生意気な判断基準だった。
「特別、変わった食材を求めようとは思わないけれど、きっと僕も食べると思いますね。」と共感してくれたその人は、第一関門通過だなと感じられた。
梅田に出て、古書街をぶらぶらして、なんだか自動車を作る男性が主人公のちっともロマンティックではないアメリカ映画を見て、お茶を飲んで帰った。ちっともお見合いらしくない、普通のデートコースのような半日だった。
「夕食もとらずに帰ってくるなんて、きっと断りの電話が入るに違いないわ。」と母やお仲人さんは話していたけれど、そのときの私はちっともそれでおしまいという風には思えなかった。
結果として、その人は今、私の伴侶となった。

あれから15年余り。
私と父さんはいまだに一緒に蛙料理の一皿を食する機会には恵まれていない。けれども実生活の中では、山盛りの蛙料理のようなビックリの一皿にも似た経験を何度も何度も出会わせて頂いた。
「それもまたおもしろいね。」と一緒に笑うことの出来る人でよかった。
文字通り泥まみれで新しい仕事に取り組んでいく父さんと日々成長していく子どもらに囲まれて、我が家の歴史もまた新しいページを加えていく。
11月4日。
結婚記念日。
外出先の父さんから珍しくメールが入った。
「ありがとう」
いいえ、こちらこそ。


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