月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2004年10月23日(土) 書けない

泥の海に浮かんだ観光バスの屋根の上で救助を待つお年寄り。
速報中の強い揺れにうろたえた目をしたアナウンサー。
避難中の車中でショック死した赤ちゃん。
壊れたジグソーパズルのように地割れして崩れた道路。
避難所でうつろな目で座り込むおばあさん。
毎日毎日辛い映像が流れてきて、心配だか同情だか好奇心だか、なんだかいつまでもTVのチャンネルを合わせている。

我が家の近くでは、平和に穏やかな秋晴れの日が続く。
台風23号のとき、水かさが増して心配した裏の小川も、ようやく今日あたり水量が元に戻り、ざわざわと肝を冷やした水音も耳に障らぬほど小さくなった。
かたや同じ空の下で、全てを失って呆然と地を見つめる人たちがいるというのに、申し訳ないほど平和な休日を過ごす。

私達の住む町の名は「きさいち」という。
ニュースの中で繰り返される「被災地」という言葉を、いつまでも「きさいち」と聞き違えて、そのたびに気持ちに軽い掻き傷を負う。
胸にいつまでも身勝手な憂鬱が幕を張っていて、なかなか心が晴れない。
愛用の茶碗を割ってしまったとか、見慣れた古い空き家が解体されたとか、そういう些細な喪失感ですら何日も心に張り付いて取れないこともあるのに、一瞬の天災で全てを失った方々の心はどれほど深く痛むのだろう。

アプコが傍らで、テーブルの上に積み木を積み上げて遊んでいる。
高く積み上げては突き崩すいつものたわいない遊びが癇に障って、「うるさいからそれやめてね。」といつもより堅い口調で言ったら、「地震やもんね。」と意外に素直に積み木を片付け始めた。
水につかった家屋や壊れた道路の映像を見るともなしにたくさん見せられて、幼いアプコの中にも大事に積み上げたものが一瞬に破壊される事の悲しさはなんとなく影を落としているのだなと思う。
「おかあさん、あそこのご飯、少ないね。」
TVの報道を見て、「一日一個のおにぎりとペットボトルの水」という被災地の食糧事情にアプコが目を丸くする。
「どうしてコンビニとかに買いに行かないの。」
「どうしておうちに取りに帰らないの?」
「大きいお布団はどこにあるの?」
地震という事情をよく理解しないアプコにいろいろ説明をしながら、被災地の事情を全く知らない私自身もアプコ同様、きっと的外れな同情や嘆きをいっぱい抱えている傍観者に過ぎないのだろうと胸が痛む。

日記が書けなくなっていた。
度重なる災害のことに触れずに、日記の日付を進めることも出来なかった。
だからといって、被災地へのお見舞いだの報道や救援のあり方への批判だの書ける余裕も私にはなくて、ただただ報道に涙し、ネットを徘徊してほかの日記書きさんたちの書かれた関連の記事をたくさん読むことに時間を費やしていた。
だが、こうしている間にも私たちにはあいも変わらず、平穏で雑然とした日常があり、たわいもない事件が数限りなく起こる。
毎日普通にごはんを作り、子ども達を叱り、洗濯物を干す。
心が中途半端に浮いたまま日々の雑事をこなしていると、何故だか急にアプコがすりすりと身を寄せてくることが増えた。
いつも母の傍らにいる「甘えた姫」のアプコは、母の心の不在に敏感だ。
多分災害への不安ではなく、心ここにあらずの母への不安がそうさせるのだろう。この子にとっては、遠いところの災害よりも父母や兄弟のいる今この生活が全てなのだなと思い至った。

申し訳ない。
今の私に出来る事は、この子らの無邪気な毎日の平穏を心を込めて支える事だ。次からはまた、当たり前の日常のたわいもない一こまを書く。
どんなに失っても、壊れても、ちゃんと別のどこかには平穏で穏やかな日常が営まれているという事が誰かの慰めになってくれはしないかと祈りたい。


月の輪 |MAILHomePage

My追加