月の輪通信 日々の想い
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父さんは義父と一緒に津山へ出張中。 アユコは、21,22日、修学旅行に出発。 台風23号の襲来で、あわや中止かとハラハラしたものの夜の間に無事雨もやみ、台風一過の好天気に恵まれた事と思う。 広島平和公園から倉敷へ向かう一泊二日。
この旅行に向けて、担任の先生から楽しい提案があった。 子ども達には内緒で、おうちの人が我が子に当てた手紙を書いて、それをまとめて修学旅行一日目の宿に宛てて送っておき、子ども達がくつろぐ夜のひと時に「わぁ、こんなものが届いたよ!」と一人一人に手紙を配るというもの。 「我が子に手紙なんかかいたことないわぁ」と言いながら、ドッキリカメラの仕掛け人になるような、いたずらっぽい想いでちょっとわくわくとなってしまったお母さんたち。 「やりましょう、やりましょう」と二つ返事で実行することになった。
いつも顔を合わせている我が子に改まった思いで手紙を書くというのは、意外と大仕事だった。 子ども達はこの日記のこともよく知っていて自分のことが書かれた日記は大概後から目を通しているようだから、母の文章そのものは見慣れているとは思うのだけれど、母の方は日記と手紙ではずいぶん勝手が違う。 手紙の中では、我が子のことを「○○ちゃん」とよんでいいのか「あなた」とよんでいいのか。自分のことを「お母さん」と呼んでいいのか「母」とよんでいいのか。 まずそんなところでひっかかって、筆が止まる。 子ども達が寝静まった居間で、数行しか書き記さない真新しい便箋を何枚も反故にして、やっとの思いで数枚の手紙を書き終えた。
家族の者に手紙を書くということがなぜそんなにむずかしいのか、考えてみる。 毎朝、同じように起き、一緒に食卓を囲み、嬉しい気持ちもうだうだした気持ちも一緒に共有しているつもりの子ども達。 「大きくなったなぁ。そろそろ自分自身の世界を持ち始めて、巣立ちの用意を始めているんだなぁ」なんて感じる事の増えた昨今、それでもやっぱり我が子に対しては「私が生んだ子ら」「わが身の一部」という濃厚な一体感が母の胸には残っている。 そのせいか「我が子への手紙」には、どこか彼らと同じ年頃であったころの自分自身への手紙のような気恥ずかしい、こそばゆいものがある。 「あなたのこんなところはいいね。」と書く言葉は、少女の頃の自分がそうなりたいと思っていたことがらだったり、「こんなふうに育ってね。」と書く言葉は嫌だった自分への裏返しだったり。 よくも悪くも私にとっての子ども達というのは、自分自身の来し方行く末を再体験して打ち破って行ってくれる勇ましい「第2の自分」であったりする。 母の翼の下から勢いよく飛び立っていくその日まで、「我が子に書く手紙」はどこか「自分自身に書く手紙」の気恥ずかしさを伴って居心地が悪いのだろう。
そういえば最近になって、ごくごくたまに実家の父母に書く手紙やメールはずいぶん書きやすくなった。 飾る言葉や装う言葉の必要もなくなって、素直な気持ちを短い文章で吐いて、そそくさと封をする。 そこには、「書かなくても多分感じてくれてるよね」という娘としての甘えと、父母とは別の場所で夫や子ども達という確実な生きる場所を築いている「親離れ」の自負が入り混じって存在する。 手紙の書きやすさというのは、どこか相手との距離感の定まりように左右されるものらしい。
「おかあさん、あれ、いつ書いたん?」 バッグにおみやげを詰め込んで、バスから降りてきたアユコは、楽しかった、眠い眠いとテンションの上がった声でひとしきり喋った後で思い出したように手紙のことを訊いた。 「さあね、びっくりした?」 フンフン笑ってごまかし、保護者総出のいたずらの首尾を訊く。 「どうやって、集めたの?誰が送ってくれたの?」 と、秘密の計画の裏事情ばかり聞きたがるアユコは、手紙の内容についてはちっとも触れようとしない。 アユコが何を思ったのか、どんな気持ちで呼んだのか、根掘り葉掘り聞き出したい気持ちもあるけれど、彼女からの本当の返信を受け取るのはもっともっと先の事かもしれないなぁと感想を聞くのは思いとどまる。 私とアユコの距離はまだまだ近い。 そのことが母にはまだまだ嬉しかったりする。
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