月の輪通信 日々の想い
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2004年10月19日(火) 手を合わせる

朝、あわただしい朝食を終えて立ち上がるとき、アユコが「ごちそうさま」といって軽く手を合わせた。
あれ、いつもそうだったっけなぁ。
我が家では「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶はみんな一応するけれど、手を合わせる習慣はなかったはずなんだけど。
学校の給食の時には、今でも相変わらず手を合わせて「いただきます」をするようだから、その習慣がふっと出てしまっただけなのかもしれないけれど、若い少女のさりげないその動作は思いがけず凛として美しい。
この間のアプコの幼稚園の参観では、お弁当の時間、お当番の子ども達が前に出て「お父さん、お母さん、ありがとう。いただきます」と号令をかけ、パッチンとみんなで手を合わせて挨拶をしていた。
冷凍食品チンの手抜き弁当常習の母としては、手を合わせて感謝されてもこそばゆいばかりだけれど、幼い子ども達が与えられた食べ物を前に小さい手を合わせている姿もなかなかに可愛らしく良いものだなぁと思った。

そういえばアユコくらいの年のころ、私自身も何かの折に父親から、
「お前は最近『いただきます』の時に軽く頭を下げる。なかなか感じがよろしい」
と褒めてもらった記憶がある。
特別意識した動作でもなかったので、ふうん、そんなものかと思ったけれど、大人になって肝心の一礼の習慣はいつか自然消滅しているのに、褒められた記憶だけが残っていたりするから、きっと内心は嬉しかったのに違いない。
我が子の合掌する姿を「いいな」と思う私の美意識とか価値観は、あの日の父のさりげないお褒めの言葉が少女であった私の胸に刻んでくれた教えの賜物だったのだろう。
同じ想いをアユコやアプコにも伝えておきたくて、
「アユコの今の『ごちそうさま』なかなか感じがよかったよ」
と一言添えておく。

台所の用事をしていたら、突然お仏壇の「りん」の音がした。
誰もいないはずとびっくりして覗いたら、アプコが赤ちゃんのうちになくなった小さいおねえちゃんの遺影に向かって手を合わせてお辞儀している。
「チューリップの絵を描いたから、なるちゃんにあげたの。」
幼いアプコにも、なる姉ちゃんとお話しするときには手を合わせるということがなんとなく当たり前の習慣になっているのだなと胸が熱くなった。

信心とか宗教とか、そういう難しい事は分からない。
自然の営みとか生命の不思議とか、そういう大切な物の前に立って何の気なしに手を合わせている。
子どもたちの中に自然と生まれた暖かい気持ちが、いつまでも色あせることなく育っていってくれますように。

今日は、私も改めて手を合わせて「ごちそうさま」といってみた。
この秋の新米は、ふっくらと甘くて、まことにまことにご馳走さま。


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