月の輪通信 日々の想い
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オニイとゲン、剣道の市民大会。 幼稚園児から一般の高段者まで市内の剣道愛好者が集まって、クラス別に試合を行う。 4年生のゲンは小学校低学年の部門で、オニイは中学男子の部門で出場することになっていた。 ゲン、健闘して2勝。ベスト8入り。 この部門では最高学年なので、欲を言えばもう一勝くらいして欲しいところだったが、とりあえず気をよくして帰ってきた。
一方、オニイ。 一回戦、ストレート負け。 相手は、市内の中学校の剣道部員のようで、見上げるような体躯のおどろおどろしい偉丈夫。 最近背が伸びたとはいえひょろりと華奢な小兵であるオニイと向き合うと、残酷なまでの体格差。 試合開始の合図と共に頭上に振ってくる「うぉー」という地響きのような雄たけびに縮みあがったオニイ、あれよあれよというまにパンパンと2本とられて、ものの一分足らずで負けてしまった。 「胸を借りる」というけれど、文字通り、中学生同士の手合わせというよりは、大人の先生に掛かり稽古を受けてもらっているという体裁となってしまった。ぐうの音も出ないというやつだ。 ま、予想通りの展開といえ、あまりにあっけない幕切れだった。 「オニイ、あんなでかい人を相手に勝てるとは思ってないけど、せめて声ぐらい出してかかっていけばよかったのに。」 さっさと面を取ったオニイに、冗談めかして声をかけたら、 「やった事のないお母さんには、言われたくないわい」 とむっとした答えが返ってきた。
「しまった」と思った。 考えてみれば、あの体格差だ。 誰の目から見ても勝敗はあらかじめ分かっている。 「ティラノザウルスに向かっていくとかげの心境なんやで。」 と、気を取り直したオニイが表現したように、初戦で格違いの対戦相手を引き当てて、それでも逃げ出さずに竹刀を構えて向き合っていく、それだけでもありったけの気持ちを振り絞っての挑戦だったに違いない。 小さいときから小柄で運動も苦手。 「まじめなんだけど、今ひとつ上達せんなぁ」と先生方を嘆かせながらも、こつこつと何年も精勤に稽古に通い続けてきたオニイ。 一度も勝利を経験する事もなく、それでも何度も相手に向かっていくオニイの静かな戦いぶりを見てきた母であるのに、歯がゆい思いの失言でオニイを傷つけてしまったようだ。
今のオニイのように、生まれつき体格にも恵まれず運動能力も著しく乏しい少年が、格違いの偉丈夫に臆せず戦いを挑んでいくその心中には、彼なりの死に物狂いの勇気や気力があったのに違いない。 その勇気はもしかしたら、生来恵まれた体格や才能を持ち合わせた人々が決して獲得する事の無い、特別な種類の静かな勇気なのだろう。 貧弱なへなちょこ剣士にはへなちょこなりの、静かに細く続く強い意志の力がある。 立派な体躯の同年代の剣士と自分を「ティラノザウルスととかげ」と自虐的に見立てるオニイには、それでも卑屈やいじけた想いはない。 我が息子ながら「偉いヤツやなぁ」と思う。
とかげにはとかげなりの精一杯の勇気というものがある。 もしかしたら、向かうところ敵なしのティラノザウルスよりも、適うはずもない強敵に捨て身で向かい合うとかげのほうが、勇気という点では格段に勝っているということもあるのかもしれない。 イチローや室伏選手のようなティラノザウルスではなく連戦連敗のとかげの母である私は、我が子のささやかな「とかげの勇気」の一番の理解者であらねばならぬとあらためて思う。
敗戦の剣士の奮闘に敬意を表して、帰りにお好み焼きを買いソフトクリームを振舞う。 勝利の美酒とはいえないけれど。
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