月の輪通信 日々の想い
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女の子達はごくごくたまに、男の子達抜きでショッピングに出るのが大好き。 雑貨屋や文具店で可愛いものを探し、大きな手芸店で当てもなくぶらぶらし、ささやかな外食を楽しんで、お土産を買って帰る。 けちんぼ母がお供だから、特別高いお買い物をするわけではない。 「わ、これ、可愛い!」「あ、今度こういうの欲しいな。」と見て歩くだけで結構堪能して楽しんでくるからかわいいものだ。 帰りに駄菓子屋で買った派手な色のキャンデーやチョコレートバーなんかを「男の子達には内緒ね。」なんていいながら、むしゃむしゃ食べながら帰ってくる、ほんの半日ほどの我が家の娘達のお楽しみなのだ。
この間、アユコとアプコを連れて、久しぶりに町へ買い物に出たときの事。 駐車場に車を置き、広場のそばの横断歩道で信号待ちをした。 休日のにぎやかな広場では、小さな子が母の手を離れてヨチヨチ歩き回ったり、飲み物のカップを片手に笑いさざめく高校生達がいたり。 あちらでは美容院の宣伝ティッシュを配るお兄さん。 子ども達に色とりどりの風船を配るお姉さん。 穏やかで平和な昼下がりだった。 ふと見ると、アプコがじーっと何かを凝視している。 その目線の先にあったのは、反戦活動の署名運動の人たちが展示した戦場の写真の看板だった。 傷ついて血だらけになり表情すら判別できない赤ん坊の写真。 手足を失って、汚い毛布の上に転がされた、少女の写真。 はだしで銃を担ぐ少年の写真。 「あ、しまった。」と思ってアプコの手を引いたけれど、アプコの目はその悲惨な映像に釘付けになったままだった。
信号がかわって、アプコ、アユコと歩き出す。 しばらくしてアプコが「ねぇ、あの赤ちゃんなんで怪我したの?」と訊く。 「あれは戦争で怪我をした子どもの写真よ。」と学校で平和学習をすすめているアユコが説明する。 「赤ちゃんも戦争するの?」とアプコ、重ねて訊く。 「赤ちゃんはしないけど、戦争になると子どもや赤ちゃんも死んだり怪我をしたりするのよ。」とアユコ。 「何で?」 「・・・・戦争だから・・・」 アユコの苦し紛れの説明は正しいけれど、無邪気なアプコの質問の方が的を突いている。 勝手な大人の戦争に、どうして子どもや赤ん坊が傷つかなければならないの?
看板はちょうど幼い子ども達の目の高さ。 楽しい休日の午後、いつもより少し甘やかされてふんわりとなっている子ども達の心に、いきなり突きつけられる衝撃の戦場写真。 確かにそのインパクトは大きいだろう。 署名活動をすすめる上では、平和ボケした大人たちの日常に目を覆いたくなるような戦場の子ども達の映像を突きつけて、「どうなんだい、世界のどこかでこんな悲惨な子ども達がいるのに、ぶらぶらショッピングなんかしててもいいのかい?」と訴える効果は確かにあるのだろうけれど・・・。 でも何の準備もなく、休日を楽しむ幼い子ども達の目にああいう映像をさらすのは、どこか暴力とはいえないだろうか。 「戦争の悲惨さから目をそむけてはいけない。」 「幼いうちから平和の意味を考えさせなければ・・・」 看板を置いた人々はそういうだろう。 でもそれはある意味、大人の論理。 ファンタジーと現実の狭間を生きる幼い子ども達にとっては、大人たちの理不尽な戦いの結果を鼻先におかれても、ただ恐怖や不快の感情しか残せない。 不特定多数の子ども達の簡単に目に付くところに、悲惨な戦場写真を置く。 そのこと自体、大人の暴力、大人の傲慢ではないだろうか。
それから、もう一つ。 仮に我が子が戦場で傷ついたり障害を負ったりなくなったりしたならば、その写真を見知らぬ国の見知らぬ人々が笑いさざめく休日の平和な広場に無神経にさらされて募金集めのネタにされたら、どんな気持ちがするだろう。 平和のための真摯な思いを持つ人や、これから戦争について学ぼうとする人たちの前に置かれてこそ、悲惨な戦場写真は意味を持つ。 何の準備も持たない人が通りすがりにちらと眺めてすぐに忘れてしまう。 そういう使われ方をしたとき、深刻な戦場の悲惨や大人たちの戦いで子ども達が傷つく理不尽は、ただの「グロテスクな写真」として興味本位にさらされるだけで、何の意味も持たない。 傷ついた子ども達や大切な家族を失った戦場の人たちに二重の鞭を打つ無礼ではないだろうか。
身の回りには豊かなモノがあふれ、子どもたちは空腹の苦痛を知らず、生命の危機を感じることなく、穏やかな日常を過ごす。 そのことを「平和ボケ」と感じる人たちの目から見ると、戦場の悲惨を突きつけて無関心な人々の心に鉄の杭を打ち込みたいと思う気持ちも理解できる。 けれども、その崇高な使命感に従った行為が、ごくごく幼い子どもの柔らかな心に恐怖や不快だけを無造作に投げ込み、傷つける結果になっていることを、あの人たちは多分気がつくことはないだろう。 その無神経が私には怖い。 勝手な戦争に子どもを巻き込む大人たちの理不尽が、そこにも確かに存在すると私は思う。
「ねぇねぇ、アイスクリームとマックシェイク、どっちがいい?」 アユコとアプコの戦争問答をかき消すように、ことさらに甘いお楽しみの話題を振る。 それを「平和ボケ」と言われてもいい。 「目をそむけている」と言われてもいい。 まだまだ私には子ども達に見せたくないものがある。 時が来るまで、見せたくない現実を用心深く避ける自由も私にはあると思いたい。
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