月の輪通信 日々の想い
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2004年09月12日(日) 職業選択の自由

NEETという言葉を聞いた。
学校を卒業したあと家事も通学もせず働く意思もない十五−三十四歳の未婚者、「若年無業者」を指すのだそうだ。
自ら求職意思も持たないという点で、いわゆるフリーターというのとも異なるのだという。
2003年の調査で、日本のNEET数は52万人。前年比4万人増。
この人たちを「喰わせてやっている」人は誰なんだろう。
やっぱり親?
 
中3生の7割は「父親と同じ職業に就きたくない」
理由は「つまらなそう」「夜遅く帰ってくるから」などがトップ。「自分の道を行きたい」「ほかにやりたいことがある」などがこれに続いたそうだ。
そして、5%が「父親の仕事を知らない、わからない」
また、将来の自分の進路について、7%が「未定・何もしたくない」と答えたという。
日本の働くお父さんの背中は、現代の若者に何の夢も与えられないのだろうか。

「将来の夢は」というと幼い子ども達は「パイロット!」とか、「ケーキ屋さん!」とか、憧れの職業の名前を挙げる。
少し知恵がつくと、「サラリーマン!」とか「公務員!」とか「OL!」とか、身近で堅実な職業を上げて、大人をうならせる事もある。
これがもう少しスレてくると、「フリーター」とか「仕事なんかに就きたくない」になるのだろうか。
それでも何とかかんとか、気楽な「若年無業者」達を養ってやっていける日本は本当に豊かな国なんだねぇ。

幸か不幸か、我が家の子ども達は幼い頃から、父親の仕事を毎日身近に見て育つ。
泥だらけの徹夜仕事も、締め切り間近の突貫作業も、スランプのイライラも、多かれ少なかれ子ども達の日常に色濃く影を落とす。
そして、古くから代を重ねて伝えてきた窯元としての歴史も幼い頃から耳にして育っているから、「跡を継ぐ」とか「代を守る」というような古風な職業観もそれとなく吹きこまれている。
ことに男の子達は、ごくごく小さいうちから、「大きくなったら何になる?」の選択肢の一つには必ず父親と同じ、陶芸の仕事が自然と数え上げられてきた。
たとえば、歌舞伎の家に生まれた子どもが、生まれおちたときから必然的に「跡を継ぐ子」としてその世界に組み込まれていくように、窯元の子は内外から自然と父の仕事を受け継ぐ事を期待されていたりする。
「幼い頃から将来の職業選択の幅が決められていて大変ね」といわれる事もあるけれど、少なくとも今のところ、我が家の子ども達には「家業に縛られる」というような悲壮な感じは見受けられない。
「4人も子どもがいるんだから、誰か一人が継いでくれれば結構」と鷹揚に育ててきたせいもあるが、父の仕事が「職業」というよりも、生活の一部として常に其処にあったからだろう。
将来の自分の姿を思い浮かべるときの手がかりの一つとして、陶芸という父の仕事のイメージを、具体的に持っている我が家の子ども達は恵まれているのだなぁと最近思うようになった。

父親の仕事のイメージを、夜遅く帰宅して疲れた様子やふと洩らす愚痴話からしか思い描くことしかできない子どもにとって、「働く」という事に夢や理想を感じられなくなっていくのは仕方のないことなのだろうか。
「将来の仕事」として、何の制限も縛りもなく真っ白な画用紙を与えられた子どもと、「家業を継ぐ」というガイドラインをさらりと描いた画用紙を与えられた子ども。
大人にとってさえ一寸先の闇の見通しがたちにくい現代では、あらかじめ何らかのアウトラインを与えられて、それを手がかりに未来を考えていく事の出来る子どものほうが、ある意味ラッキーなのかもしれないと思う。

「自分のやりたい事を職業にする」という事が、本来はもっとも恵まれた職業選択だとは思うのだけれど、現代の子ども達には「自分のやりたい事」の具体的イメージを持たない子の割合が多すぎるように思う。
「13歳のハローワーク」という分厚いガイドブックを与えられても、「あ、これこれ!」と目指す職種のイメージを持たない子にとっては、星の数ほどもある職業の数々はただの意味のない羅列に過ぎないのだ。
何の手がかりもなしに、あの大冊のページを繰って、自分のなりたい職業を探すのは容易な事ではない。
そんな風な、与えられすぎた選択肢のわずらわしさが、子ども達の職業観に「うざったい」思いを抱かせているのかもしれない。

仮に、うちの中で自分の父や母が働く姿を見ることが出来なくとも、子ども達の身の周りには、「働く大人」のお手本はたくさん存在している。
パン屋のおじさん、デパートで床掃除をしているおばさん、ゴミ収集のおじさん、コンビニのおにいちゃん・・・・。
空気のようにそこここに存在する「働く人」の背中を見て、「あ、この仕事してる人、偉いなぁ」とか「なんか面白そうな仕事だね。」とか、幼い頃から「働く」ということに、より具体的な、できれば明るいイメージをたくさん刷り込んでおいてやる事も必要なのかもしれない。
職業選択の期限ぎりぎりにまで育ってしまった若者達に、「働くってどんなこと?」「やりたい事はなに?」と問いかけてみても、「べつに・・・」と首をすくめられるのが関の山だ。

「とりあえず、いい学校へ行って、いい会社に入って、出世をめざして・・・・」と言う、いささか偏ってはいるけれど確固とした職業観を一律に与えられた世代は、まだよかった。
リストラだのフリーターだの若年無業者だの、ぴゅーぴゅー隙間風の入る未来を見せられる現代の子ども達。
「職業選択の自由とか無限の可能性なんて、もういらない。
適当に楽しくて負担にならない仕事の選択肢を二つ三つ見繕ってくれたら、そこからやりたい事を適当に選ぶよ。」
そんな事を考えてる子どもの数って、結構たくさんいるんじゃないかと思うと、ちょっと憂鬱になる。


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