月の輪通信 日々の想い
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2004年09月10日(金) |
落下りんご 降灰キャベツ |
台風、地震と怒涛の一週間だった。 異国では痛ましい惨劇のニュース。 国内では、意味もなく命を奪われる子どもや高齢者達。 ついこの間、「金メダルだ!」「日本初の快挙!」と騒いでいた報道番組が、えらく陰鬱で胸が苦しくなる。
台風も地震も幸い我が家には何の被害もなかったのだけれど、それでもうちの周りの山の木々は、かなり枝先が折れたり、実り始めた若いどんぐりをもぎ取られたりしていたようだ。数日たった今頃になって、道路わきの水路がしょっちゅうあふれる。グレーチングを置いた部分や暗渠の箇所で、おれた木の枝や振り落とされた木の葉が引っかかって詰まるからだ。 山のどんぐりは、「成り年」とそうでない年があって、ことに子ども達のお気に入りのクヌギの木は、わぁっとあふれるほどどんぐりを実らせる年もあれば、まばらに小さなどんぐりを落とすばかりの年もある。 「今年はどんぐり、たくさんできるかなぁ。」 と楽しみにしているアプコには、台風でまだ青いまま地面に落ちてきた赤ちゃんどんぐりたちが不憫に思われるようだ。
そういえば、先日の台風の唯一の被害といえば、庭でさいごの一輪となっていた鉄砲百合のつぼみが花首のところからぽきんと折れてしまったのは、痛恨だった。 我が家の百合は小さなつぼみが現れてから、膨らんでぽかっと開花するまでの日数がやたらと長い。おまけにひょろひょろと背が高いので、途中でつぼみの重さに耐えかねて地面すれすれに倒れ掛かってしまう事もある。 華奢な茎をいためないようにそっと杖をつけてみたり、そばに支え代わりになりそうな草花を植えてみたりもしているが、今度の台風の風にはひとたまりもなかった。 あと数日で、開花かなぁと薄桃色に色づいたつぼみの先端を眺めて楽しんでいたものが、一晩の風で見るも無残に折れて地に落ち泥だらけになっていた。 がっかりである。
台風などの自然災害の後、必ず見かけるのが、収穫直前に被害にあって正価では出荷できなくなった農作物を格安で販売するデパートやスーパーのニュース映像。 「表面の傷はあるものの、お味は上々。」「市価の三割から四割安のお買い得。」「用意された商品はあっという間に完売しました。」 判で押したようなアナウンサーのコメント。 なんだかあれ、気持ち悪い。 一年間丹精して育てた自慢の作物を収穫目前にして、「落下りんご」「降灰キャベツ」として買い叩かれてしまう農家の人の落胆というのはどれほどのものだろう。おそらくはそうして曲がりなりにも市場に上る作物の裏には、落下りんごとしてすら売りに出せずに廃棄される作物もたくさんあるのだろう。こつこつと雨の日も風の日も、地道な作業の繰り返しで行われる農家の暮らしを思うと、本当に胸が痛む。 作物を作った人のことを思いやっての緊急販売なら、何であんなに安価で販売するのだろう。 「捨てるよりまし」の発想かも知れないけれど、せめて、ニュースの映像に載せるくらいなら、被害農家への義援金の意味合いをかねて、正価並みの金額で販売したら、やはり買う人はいないのだろうか。 うちの近所のスーパーや生協でも、格別安価な被害作物を見かけることもある。 「格安大好き」の主婦としては、飛びつきたいところだけれど、「安くてラッキー!」とちょっと喜んでしまうような自分の心根が気持ち悪くて、商品を選ぶ手が止まる事もある。 捨て値のような価格でも、誰かが購入すればそれだけ被害農家の方へのごくごくわずかな助けにはなるのだろうか。 災害の爪あとの残る作物を口にして、遠く顔も知らぬ生産者の方々の落胆を思いやるだけでも、少しは意味があるのだろうか。 落下りんご、降灰キャベツのニュースを見るたび、複雑な思いに心は揺れる。
ところで、買い物に行くとここ数日全体に野菜の値段が高い。 さほど被害はなかったろうと思われる産地の野菜の値段も上がっている気がする。多分、台風被害で品薄になった分、全体に価格も上がっているのだろう。 「わ、にらがバカみたいに高いわ。レバニラ炒め、ニンニクの芽で代用するけど、いいかな?」 そんな風に高値の野菜を避けて、やっぱりお買い得の野菜に逃げ込む私って、どうなんだろう。 「落下りんご、安くてラッキー!」とニュースのインタビューでニカニカ笑っているおばちゃんと、やっぱりさほどの差異はないか。
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