月の輪通信 日々の想い
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2004年09月15日(水) 戯れる

子ども達を送り出して、久しぶりに家事に燃える。
昨日の可燃ゴミ収集に端を発し、来週の不燃ゴミ回収に向けてのお片付けモード、継続中。
珍しく油汚れのひどいレンジ周りを磨き、夏蒲団やタオルケットを洗濯する。まだまだ暑いといいながら、大判のタオルケットがからりと乾く日差しがありがたい。

台所仕事が一段落して工房へ行ったら、父さんが防塵マスクに帽子を目深にかぶり、埃だらけの土場で土作りをしている。
陶芸の土作りといえばふつう、大きな土塊を作業台の上で力を込めて捏ね上げている姿が思い浮かぶかもしれないが、うちではその一つ前の段階から、土作りがはじまる。
大きなセメント袋に入った細かい粉状の粘土に珪砂(石英質)とシャモット(素焼きの粉)を計量して混ぜ合わせ、どべ(泥状の粘土)を加えて大きな機械でこねあわす。
ごくごく細かい粉状のものをたくさん取り扱うので、土場はもうもうと土煙。帽子やマスクがないとやってられない。
本来、下職(したじょく)と言われる職人さんの仕事である土作り。
家族が中心の小規模の窯元ではそんな職人仕事も作家が自分で行うこともある。
ことにこの夏は、頼みの若い職人さんが事故で仕事にこられなくなり、時をあわせて数モノの注文が何件か続いた。作りためてある土が底をつく前に新しい土を作っておかなければならない。時にはオニイやゲンの「猫の手」も借りて、一番基本の作業を行う。

埃まみれの現場にふらりと顔を出した行きがかり上、ぶうぶう言いながら少々お手伝い。
機械が捏ね上げた粘土をへらで掬って作業台に移したり、さらさらの粉の粘土にひじまで突っ込んで混ぜ合わせたり・・・。
ぶうぶう言いながらも、実はこれが結構楽しい。
しっとりと手のひらに吸い付く冷たい粘土をがっしりと抱え揚げる楽しさ。
砂丘の砂よりもっと細かな粉状の粘土や珪砂の滑らかな感触。
幼い子が日がな一日砂場で遊び戯れるときのあの昂揚感が、再び脳の片隅に呼び起こされる感じがする。

「土と触れ合う事には、『癒し』の効果があるそうですね。」
父さんの仕事について語るとき、お世辞半分でそういう賛辞を下さる方がある。さぞかし心満たされて、ご家族も円満で・・・・とでもいいたげに。
意地悪な私は「でも、仕事ですからね。いつでも癒されているわけにもいかないようですよ」と笑って相手の期待を裏切ったりする。
趣味で楽しむ陶芸と日々のルーチンとして行う作陶の厳しさは全くの別物と父さんの厳しい仕事振りから強く感じている。
それでもなお、ひんやりした土の心地よい重量感やさらさらの粘土と触れ合うときの子どものような快感は、確かに私を満たし、父さんを満たす。
薄暗い土場の土埃の中で、父さんと二人で土と戯れるひと時は、幼い子どもの秘密のいたずらめいて、心地よく楽しかった。

ほんの一時間足らずの作業で、手足も髪も埃だらけ。
幸いコンタクトレンズははずしていってたけれど、代わりに眼鏡のレンズが砂埃で煙っている。
手早く洗って、お昼の支度をする。
向かい合って、食事をしている父さんが笑って私のひじを指差す。
あらま、きちんと洗い落としたはずなのに、そこには泥んこ遊びの名残の粘土のかたまり。
うふふと祓い落としてふと見ると、父さんの作業着の横腹にもべったりと乾いた粘土のあと。
「そっちこそ!」と笑って指差す。
まるで子ども。

夫婦で子どもにかえる時間を持てる今の幸せ。


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