月の輪通信 日々の想い
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2004年07月26日(月) ルールなんて・・・

アプコ連日、プール三昧。
神社のところに「若宮プール」という小さなプールがあり、村の人たちの好意で夏の前半毎日、低学年の子や幼児を対象に無料で開放されている。
プール当番は、低学年の子の親たちが交代で務める。
数日に一回、きちんと水を抜いてお掃除もしてくださるので、水もきれいで気持ちがいい。
我が家の子どもたちも、小さい頃、このプールをフルに活用させていただいた。
軽自動車に海パン水着着用の子どもらと浮き輪を詰め込み、ぶんぶん飛ばしてプールへ運ぶ。後は灼熱のプールサイドで子どもらの歓声を聞き、ひたすら時間をつぶす。意地のように皆勤にこのプールへ通う夏の日課もはや10年。
母もよくがんばった。

このプールに入るのは、もううちの家ではアプコ一人になった。
幼稚園友達のKちゃんと一緒に、毎日楽しげに水遊びを楽しむ。
浮き輪でぷかぷか浮いて見たり、バタ足で派手な水しぶきを上げてみたり。
ちょうど友達との水遊びが一番楽しい年頃。
母は、Kちゃん母とプールサイドの小さな木陰を見つけてプール番。
Kちゃん母も上のお姉ちゃんたちからかなり年数を空けてKちゃんを産んだので、幼稚園児の母としてはちょっと歳食い。
ごつい体格でガハハと笑う豪快で楽しいおばちゃんだ。
今年のプール番は、Kちゃん母との楽しい井戸端会議のおまけつきになった。

ここのプールでは、30分に一度、子どもたちを全員プールサイドに上げて、10分間の休憩時間をとる。
当番のおばちゃんがピリピリピリと笛を吹くと、楽しく遊んでいる子どもたちはしぶしぶあがってきてプールサイドで甲羅干しをする。
うちの子達は小さい頃、この短い休憩時間を「ワニさんタイム」と呼んだ。
「休憩時間にはちゃんと水からあがっていないと、水の中からワニさんがやってきて食べられちゃうぞ」
そういって、水から離れがたい幼い子たちをプールサイドに上げる。
少し大きくなって、「ワニなんか居るもんか」と理解するようになっても、ピリピリ笛が鳴ると、「ワニがくるぞ!」と今度は弟妹たちを水からあげる。
「若宮プールのワニ」は、近くの山の「大男の洞窟」と共に、我が家の子どもたちの幼い日の楽しいファンタジーとして、語り継がれている。

楽しい水遊びを中断して、灼熱のプールサイドで時間をつぶす10分間の休憩時間は、ほかの子どもたちにとってもじりじりとじれったい待ち時間。
特に小学生の子どもたちはついついプールサイドまで上がらずに、プールのふちに足をかけて、足先を水に浸して、次の笛の音を待つ。
「ちゃんと水からあがりなさいよ」
当番のお母さんたちが、注意して回っても、ついついピチャピチャと水しぶきを上げてみたり、プールのふちのもう一つ下の段に腰掛けてひざまで水に浸したり・・・。微妙なルール違反を楽しむ。
当番の方も、毎日人が変わるので、少しくらいのルール違反ならお目こぼしする人も居れば、ちょっと水面に触れただけでも「こら!ちゃんとあがらないとプールに入れないよ!」と厳しく注意する人も居る。
子どもたちもその辺の事情をよく知っていて、当番のおばちゃんの顔を見ながらちびりちびりと休憩時間のルールをごまかす。
浮き輪を人のいない水面にわざと投げて取りに行く振りをして水に入ったり、友達とふざけあって水に落ちたふうを装ったり。
当番のおばちゃんが「今日は甘い」と察すると、どんどんルール違反がエスカレートしていく。
「ちゃんと、あがらなきゃだめよねぇ。」
幼稚園児や保護者同伴の幼児のほうが、生真面目にルールを守って小学生たちのふざけっこを怪訝そうに見ている。
「ほんとにねぇ、だめだねぇ。」
といいつつ、当番でもないのであえて声はかけずに放って置く。

「なんか、ああいうのはイライラするよね。」
とKちゃん母。
別に格別危険だとか、犯罪だとか言うわけでもない。
ごくごく些細なかわいらしいルール違反。
当番の人も、さほど目くじらを立てることもないかと思う人も多いようで、特に注意しないでいると、子どもたちは少しずつボーダーラインを緩めていく。
そのだらだら崩れて行く感じが、実は私もあまり好きではない。
「ああいう微妙なルール違反をする子って言うのは、大概決まっているよね。
きちんとルールを守らないと落ち着かない子っていうのは、もうこの年頃から絶対、ああいうルール違反はしないしね。」
お互い、生真面目系の子どもたちを育てているKちゃん母と妙に意気投合。
「うちの子だったら、『ゴン、ゴン、ゴン』ってゲンコツ落として『馬鹿もん!』だけどね。」
と笑う。

携帯電話片手に運転するヤツとか、自分のゴミをヒョイとポイ捨てするヤツとか、微妙なルール違反をあんまり悪気もなくやってる大人って、こんなふうなところから育っていくのかもしれないなぁ。
自分のやってることが、それほど誰かの迷惑になってる感じもしない。
「自分だけはいいじゃん。」とか、「誰も叱らないから、このぐらいはいいよね。」とか、自分で微妙にルールを緩めて涼しい顔をしている。
そういうのって、本人にとっては結構「生き易い」のかなぁと思ったりもするが、たとえば我が子がそういう種類の大人に育っていくのはちょっと嫌だなとも思う。
「決して赤信号は渡らない」というオニイは、潔癖すぎて疲れるだろうが、
小さなルール違反でもやってみるとチクリと胸が痛む、そういう生真面目さはうしなわない大人になって欲しいと私は思う。

だからといって、見知らぬよその子にゲンコツを食わせたり、「うるさいおばちゃん」ぶって注意してやろうともあまり思わない。
面と向かって叱るほどの事もない、ごくごく些細なルール違反。
そのへんの微妙な善悪の基準感覚は、何よりも家庭で、日常生活の些細な瞬間に、少しずつはぐくみ育てるものだ。
よそのおばちゃんが目くじら立てて叱ってやるほどのことでもない。

・・・・とは言いつつ、私は子どものそういう小ずるさを見るとイライラする。
Kちゃん母も同じような基準点を持っているようだ。
そのことを知っただけで、今日のところはよしとする。


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