月の輪通信 日々の想い
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2004年07月24日(土) 「これ、誰の?」

暑い。
うるさい。
片付かない。
夏休み、三重苦。

一日四回、冷茶用のお湯を沸かす。
流しで水につけてあら熱を取り、冷茶ポットやペットボトルに移して冷蔵庫で冷やす。
夏休みともなると、冷茶の需要は普段の倍以上に膨れ上がる。
事あるごとに冷蔵庫をパタパタ開けて飲み干していくほかに、どこかへ出かけるたびにもっていく水筒用のお茶の需要がバカにならない。
プールや剣道の稽古ともなると、大型の保冷ボトルにがんがんお茶を入れていくので、沸かしても沸かしてもすぐになくなる。
そのくせちょっと冷蔵庫のお茶が切れたり冷えが悪かったりすると、「えーっ、冷たいお茶ないの?」と不平たらたら。
たまには自分で沸かしてみろ。
おまけに流しのふちには、使い終わったガラスコップがずらりと行列。
自分の使ったコップぐらい、ささっとすすいで伏せておいたらどうだ。
説教しているすぐ脇から、「お茶、入れてください」と手を出すアプコ。
今さっき、飲んだばっかりじゃないの。
子どもたちはそれぞれに、部活だ、サマーinだ、友達とプールだと出たり入ったり。
それぞれの日程にあわせて送迎したり、早昼ごはんを用意したり、父さんとの日程調整をしたり・・・。
家に残る子どもたちはのべつ幕なしにおやつを食べたり、クーラーの部屋でごろごろしたり・・・。
毎日の予定がフル回転で、この暑さだ。
家に居るときぐらい、ぐだぐだしていたいのもよくわかる。
しかし子どもたちはそれぞれ大きくなった。
たった一部屋、クーラーを効かせた居間に集まり、一緒にぐだぐだされると非常にかさが高い。
ついでに食べたアイスのカップやジュースのボトルは置きっぱなし。
宿題のプリントもアプコの落書き帳もレゴの部品もカブトムシゼリーも、
脱いだ靴下も空の水筒も図書館の本も汚れたタオルケットも、
ごちゃごちゃと渾然一体となったこの魔宮のような空間はいったい何?

「さあ、片付けタイム!」
時々、号令をかける。
ぐだぐだ寝そべっている奴をたたき起こし、PCのゲームも「強制」終了。
「ほりゃ、プールの洗濯物、そのまんまの人は誰?」「アプコ!」
「ブロック散らかしてるのは誰?」「ごめん、僕!」
「牛乳飲んだコップ、置きっぱなしは誰?」「ゲン!」
「このアイスの包み紙、捨ててないのは誰?」「多分アユコ!」
ばたばたと片付けモードに入る私の剣幕に押されて、子どもたちが動き出す。
「濡れタオル、カーペットの上に置いといたのはだれよ!」
「僕じゃないよ。」
「あたしも違う。」
「アプコじゃない?」
ムカッ!
誰だっていいよ、さっさと片付けな!
・・・・そこではたと気づいた。
自分で散らかしたものはいやいや片付けているけれど、
ほかの誰かが散らかしたものは自分が片付けたら損とでも思っているな、コイツら。

確かに、「これ、片付けて」という言葉の代わりに、いちいち「これ、誰の?」と怒鳴るのが口癖になっている私にも責任はある。
「これ、誰の?」 (出した人が片付けてよ)
「僕のと違うよ。」 (だから僕には片付ける義務は無いよ)
こういう暗黙の会話が、常態となっている我が家。
「なんか違う」と気がついた。
散らかしたのが誰であろうと、そこにあるゴミは近くに居る誰かが捨ててくれればそれでいいんだ。
散らかした犯人探しをしたいのでもなければ、散らかした本人に自己責任で片付けさせたいわけでもない。
とりあえず、このブタ箱のような居間を片付けて、テーブルをきれいに拭いて、冷房効かせて、晩ご飯を食べたいだけなんだ。

「自分で散らかしたものは、自分で片付ける。」
これ、基本。
でも、「自分で散らかしたものしか、片付けない」では、大家族の日常は回らない。
結局犯人のわからないゴミは、母がブーブーいいながら片付ける羽目になる。
それって、とっても嫌なんだ。
さっさと自分の守備範囲を決めて、その枠内だけをさっさと掃除して「オレの分の仕事は終わったし・・・」と涼しい顔して、どこかへ言っちゃうヤツがいる。
そういうのってとってもヤな感じ。
でも、そういう気分が、夏休みの我が家のうだうだ生活にぎしぎしと忍び込んできている感じがする。

そのことに気がついて、ちょっと号令のかけ方を変えてみた。
「このタオル、誰が片付けてくれるの?」
「汚れたお皿、もって行ってくれるのは誰?」
「掃除機、誰がかけてくれる?」
誰が散らかしたものでもいい。
家族の共有のスペースで、みんなが気持ちよくくつろぐために、ちょっとした労力を貸してもいいというのは、誰?
そんな気持ちを込めて、誰にとも方向を定めずに号令をかける。
本来、家庭の中での些細な用事は、
「○○が散らかしたから、○○が片付ける」
「△△の仕事だから、△△がやる」ではなくて、
「気がついた人がやる」
「手が空いている人がやる」
「みんなのために僕がやる」でいいのではないか。

今のところ、生真面目なオニイだけが、母の号令の変化の意味に気がついた。
「それ、僕がやっとくわ。」
しょうがないなぁと言いながら、アプコの散らかしたゴミを拾い、ゲンのカードゲームをまとめて箱に入れる。
「それ、アプコのおもちゃだけど、アユコ、ちょっとお前が片付けてやって。」
そういう、物言いをするようになった。
いいヤツだなと思う。
近頃、オニイはちょっとした家事やこまごました用事をチョコチョコとよく手伝ってくれるようになった。
母の意図するところを、さりげなく酌んでくれるようになってきたオニイ。
常に気配りの人である父さんに似てきたのかな。
有難い。


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