月の輪通信 日々の想い
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2004年07月20日(火) |
子どもの足元の石を拾う |
終業式。 40数日の夏休み突入。 家の中にごろごろと4人の子供たち。 部活に出て行く者、学校のプールへ跳んで行く者、友達との遊びの約束をしてくるもの。 家族6人分の日程を書き込んだ大判のスケジュール表に従い、 母は、子供たちをあちらへ送り出し、こちらへ連れて行く「配送」の日々。 冷蔵庫の冷茶の補給と、「また、焼そば?」といわれつつマンネリ昼ごはんの調理。 ああ、恐怖の夏休み。
夕飯時、広報の委員さんの一人から電話があった。 夏休み中の取材のことかと思って出てみると、明日から始まる「サマーin」のことで聞きたいことがあるという。 子供たちの通う小学校では、夏休みの最初の数日間、先生方が子どもたちのために選択制の「夏期講習」のようなプログラムを用意してくださる。3年生以上の子どもたちを対象に、午前中の数時間、水泳や鉄棒、お料理、工作、パソコンなど楽しい講座が20種類近く準備された。 子どもたちは用意された時間割を見て、自分の希望する講座を申し込み、講座のある日に登校してくる。 長い夏休みのしょっぱな、たとえ一時間でも子どもたちが学校へ言ってくれるのは誠に有難い。日ごろの授業では経験できない楽しい経験をさせてもらえると、お母さんたちの間では大好評である。
ところが、この講座、自由選択性なので自分ちの子どもが申し込んだ講座のスケジュールがわかりにくい。同じ内容の講座が数日に分かれて行われていることもあって、「何日のどの講座」に申し込んだのか、子ども当人が忘れてしまったり、わからなくなったりすることがあるようだ。 「うちの子、明日どの講座を申し込んでいるのかわからなくて・・・。 役員さんなら参加者のリストをお持ちかと思って・・・。」 電話の内容は、そういう問い合わせだった。 確かに先日の広報委員会で、この「サマーin」の取材スケジュールを決めたので、講座の内容や日程についてはいくらか説明もしたけれど、あくまで学校主体の行事なので、参加者リストまではこちらももらっていない。 「ごめんなさいねぇ、私にはわからないわ。 職員室の入り口に参加者の名簿が張り出してあったようにも思うけど、この時間じゃ、学校には誰も居ないわねぇ。」
「どうしたらいいんでしょ?」 困り果てる委員さん。 明日申し込んでる可能性のある講座は3種類。 「とりあえず、3つとも用意していって、学校へ行ってから調べてみればいいんじゃないの?」 「でも、それじゃ、体育の用意と絵の具道具、調理実習の準備、全部持っていくことになります。それじゃ荷物が多過ぎてかわいそう・・・」 「はぁ、そうですねぇ。」 ・・・この辺で、ううっときた。 うちの子だったら、体操服に赤白帽かぶせて、右手に絵の具道具、左手に調理のエプロン持たせて、「自分で調べてこい!」と送り出してしまうところだろう。 「じゃ、用意していない講座はキャンセルするとか、お母さんがお荷物もって送ってあげるとか、それしかないですねぇ。」 「困りました」 「はぁ、困りましたねぇ。」
子育てをするとき、 「あとで子どもが苦労しないように」とか、「○○をしておいてあげないと可哀想」とかという言い方をする人がいる。 私はあれが苦手だ。 大学受験で苦労させるのは可哀想だから小さいうちに私学を受験させてあげるとか、学校に入学して授業についていけないと可哀想だから幼いうちから文字を教えておくとか。 子どもの将来の苦労をなくすために、前もって親が子どもの前の障害物を取り払って平坦な道を準備しておいてやる。 それが親としての最大の務めであるかのように語る人が居る。 ごめんなさい、私はその種の「務め」についていけない。
目の前に障害物があるなら、子どもは自分の力でそれを乗り越える方法を考えればいい。親はそのそばではらはらしながら見ていてやるだけだ。 本当に親がしてやらなければならないことは、あらかじめ石ころを取り除いたきれいな道を用意してやることではなく、「石ころ、踏んだら痛かったね、どうやったらうまく歩けるか考えてみ。」と笑って見ていてやることだ。 そしてさらに意地悪母としては、「さあ、悔しかったら超えてみろ。」と余分の小石を撒いてやるかもしれない。 それでも子どもらは何とかかんとか自分の力で障害物を越えていく。 越えていける力と知恵を育ててやることこそが、親の務めと私は考える。
「うっかりして明日の講座のスケジュールを忘れてしまった。どうしよう。」 子どもがピンチに陥ったとき、親がしてやれることは何だろう。 何とかして、誰かから我が子のスケジュールを教えてもらって、適切な準備を持たせて送り出してやる。それも大事。 でも、「あなたの不注意で困ったことになったね。どうする?」と問いかけ、「しょうがないね、3つとも持って行って、自分で何とかしなさい」と突き放してやることも、時には必要。 子どもは「大事なスケジュールはきちんと管理しなくては。」という反省と共に、同じようなトラブルに陥ったときの対処方法のヒントを一つ身に着ける。
「いじめにあった。どうしよう」 親が相手の親のところに怒鳴り込んで、相手のいじめをやめさせることも時には必要。 けれども、どうしようもなく嫌なヤツがいる。顔も見たくない。 そんなときには、どんな風に嫌な気持ちを吐き出せばいいか、どんな風に抗議すればいいか、どんな風に戦えばいいか。 その対処方法を自分で学んでいくことは、こどもにとってはもっと大事。 次に同じようなつらい目にあったとき、「ようし、なにくそ!」とこぶしを固める力になる。 子どもには、平坦な道を用意しておいてやることより、石ころにぶつかったときの避け方の知恵をたくさん学ばせておいてやることが大事なのだと思う。
「子ども自身に解決させなさいよ。」と、説教モードになりそうなのをぐっと抑えて、電話に応える。 その家その家の子育ての方針というものもあるだろう。 相手は広報の仕事をまじめにこつこつとがんばってくれた委員さんだ。 広報の仕事以外のことで、私に問い合わせの電話を下さるということは、 委員長としての私の仕事振りを評価してくださって、頼りにしてくれているのだろうと、都合よく解釈する。 「明日のことは私にはどうにもしてあげられないわ。 あさって以降の講座のスケジュールは、ちょうど私も学校へ行くからメモしてきて教えてあげるわね。」 余計なおせっかいだなと思いつつ、相手の期待に少しはこたえて、電話を切る。 なんとなく、よそんちの過保護に加担したようで、後味が悪い。 「はいはい、あんたたちも自分のスケジュールはちゃんとメモしておきなさいよ。 大事な用事を忘れても、母は家族みんなの予定は把握できないよ。」 代わりに、我が家の子どもたちに自立の精神を説いて、憂さを晴らす。 ああ、夏休み。 母は忙しいのである。
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