月の輪通信 日々の想い
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2004年07月05日(月) 発熱

土曜日の夕刻、気合いを入れて、大鍋いっぱいの煮込みハンバーグをこしらえていたら、ひざやふくらはぎが急にだるくなってきた。
「筋肉痛かしらん」とばたばた配膳していたら、ちらと頭痛の気配がした
「いただきます」と席についたら、あんなに空腹だったのになぜか食欲が湧かなかった。
「あかん、おかあさん、しんどいわ。」と横になったら、すでにその時体温計は37、7度。
「わ、熱あるやん!」
そこから、今日(月曜)の明け方まで、体温は38度、39度のラインを維持。
何年かぶりの鬼の撹乱。
死ぬかと思った。

多分、夏風邪か何かなのだと思う。
「自然治癒信仰派」(別名医者嫌い)の私としては、休日診療へ駆け込む根性もなかったので、ひたすら悶々と熱と戦う。
子どもらと父さんが台所でごそごそとおさんどんをしたり、洗濯物を片づけたりする気配をとぎれとぎれに感じつつ、高熱と腰痛に朦朧と漂うばかり。
熱の合間に気になるのは、翌日のPTAの広報紙の印刷所への原稿持ち込みの予定。
展示会の搬入前で目が回るほど忙しいはずの父さんの仕事のこと。
「丸一日も熱、出してる場合じゃないんだよ!」と自分に喝をいれるエネルギーすらなく、頼りなく布団の上を転々とする母に、子ども達は優しかった。

冷たい飲み物を用意してくれ、氷嚢代わりのチューペットを取り替えてくれ、
体温を測るたびすぐに誰かが確認に来る。
考えてみれば、子ども達にとっては、母が前後不覚になるほどの熱で倒れるなんてほとんど初体験。
発熱した私自身も驚いたけれど、子ども達にとっても一大事だったに違いない。
「おかーさん、だいじょうぶ?」
不安げに尋ねるアプコに「大丈夫、大丈夫」と答えることすらできず、
「母、死にそう」
と弱音を吐く頼りない母。

「ここんとこ、結構頑張っていたもんなぁ。」
PTAのこと、学校での子ども達のこと、仕事のこと。
何かというとめらめらと怒りを燃やして、こぶしを固めて、立ち向かっていくことばかり。
本来、のほほんと鼻歌でも歌いながら、お洗濯を干したりしているのが、一番心地よいおばさんにとって、いつになく過剰に燃やした闘志の残滓が、突然の発熱となって降りかかってきたものか。
丸々一日半かかって心の中におろおろと滞っていた未消化のストレスを燃やし尽くし、身も心も、それこそからからのミイラのようになって、朝を迎えた。

休日には熱を出しても、月曜の朝にはさっさと回復して、子ども達を起こし、幼稚園のお弁当も拵えて、定刻にみなを送り出す。
「さすが主婦の鏡!」といいたいところだけれど、まだまだ手足の関節はがくがくするし、足元もふわふわしておぼつかない。
いつもの距離感、いつもの感覚をすこしづつ取り戻しながら、「快復」の実感をゆっくり味わう。
「お母さん、もう大丈夫なん?」
かわるがわるに子どもらが、やってくる。
「お、今日から『大丈夫』にする。」
とりあえずホッとしたという子どもらの正直な笑顔。
かわいいなぁと、新鮮な思いで受け止める。

「一日にお茶っていっぱい要るモンやな。」
昨日一日で2回も冷茶用のお湯を沸かしてくれたという父さん。
いつも当たり前に冷蔵庫に収まっているお茶が、主婦の地味な作業の結果であるということに気づいてくれたらしい。
そういえば、起き抜けに牛乳を飲みにきたオニイも、
いつもなら流しのところへ置いていくだけのコップをささっと濯いでコップ掛けに伏せていった。
昨日お茶を飲むたびに、自分のコップが汚れたままで不便な思いをしたのだろう。
日ごろの主婦の何でもない作業の存在が、みとめられたようでちょっと可笑しい。

ふと気づいたら、台所の流しの前の出窓に、
朝日に輝く見事なクモの巣ができあがっていた。
主婦が病床についてる間に、目敏くやってきた小ぐもが立派な罠を編む。
父さんも子どもらもせっせと家事や炊事を頑張ってくれたけれど、
やはり台所には、毎日主婦がいてこそ、家庭なのだ。
そのことが少し嬉しくて、
クモの巣はらいは、夜まで執行猶予ということにした。


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