月の輪通信 日々の想い
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2004年06月17日(木) |
子育て世代を甘やかすな。 |
オニイが宿泊学習に出かけた。 他の子ども達も、元気に登校,登園していった。 個展会場へ行く父さんを車で駅まで送って、久しぶりに平和な主婦の時間。 朝の片付けを済ませ、久しぶりに家中掃除機をかけ、まぶしい陽光の中で洗濯物を干す。ここ数日たまっていた家事をざざっとやっつけて、TVのワイドショーを見る。 私は基本的におうちが好き。 こういう朝の時間の穏やかな流れが、私には一番身に合っている。
ワイドショーではまた子どもたちの暗い話題。 ネット、カッターナイフ、加害女児に続いて、いじめ、罰ゲーム、自殺。 ここのところ、自分ちのどたばたで気持ちの余裕がなかったので、外の暗い話題にはあまり触れたくない思いでいたのだけれど、次から次へと胸を突かれる事件が続く。 子ども達にいま何が起こっているのだろう。 なぜこんなにも悲痛な事件が続くのだろう。
いまどきの子育てを論ずるとき、世間の風は意外と子育て世代の親達に甘いのではないかと最近思う。 「核家族化が進み、子育てが密室の母子の間で孤独に行われている。」とか、 「少子化社会の中で次の世代を生み育てている親世代を社会全体でサポートしなければ」とか、 「携帯電話やパソコンなど昔にはなかったアイテムが子どもの中に浸透し、親が子どもを理解し、その行動を把握するのが難しい時代になった。」 とか・・・。 働くお母さんが増え、週5日制になって平日子どもが学校にいる時間が長くなった。パソコンや携帯など学校や親の目の届かないところで子供達が友人関係を築いていくようになり、子供達のまわりにはその良し悪しにかかわらず手に余るほどの情報があふれている。子供が標的となる事故や犯罪など安全を脅かす種もそこここに落ちている。 そして、子育ては必ずしも親にとっての「人生の第一課題」とは言えなくなった。
「社会全体で子育てをサポートしよう。」と世間が子育ての苦労に眼を向けてくれるのは誠に結構。 有難いことではある。 けれども,そのありがたさにあぐらをかいて、現代の子育て世代は甘やかされすぎていないか。 「小さい赤ちゃんとべったり一緒の生活に疲れた。」 ・・・どこか公的な機関で一時的にでも子どもを預かって気分転換させてくれないか。 「子どもが家庭のパソコンで何やら怪しげな事をしているみたい。」 ・・・アタシはパソコンはさっぱりわかんない。学校でちゃんとパソコンの使い方やネチケットをおしえてくれなくっちゃ。 「週5日制になって、週に二日も子どもが家でごろごろしている。」 ・・・放っておいても子どもが安全に遊べる場所や、有意義に遊ばせてくれる大人はいないの? 「近頃の子は挨拶もしないし、ちゃんと目を見て話さない。」 ・・・学校ではそんな基本的なしつけも教えてくれないのかしらん。 自分ちの子どもの成長に必要なしつけや心配りの多くを、社会や学校、近所の人や先生に肩代わりしてもらって当然というような発言をよく耳にする。 少子化時代の中、次代を担う子供達はもっと大事にされなければ・・、もっと助けてもらわなければ・・というような親の妙な権利意識が、私にはとても不快に響くことがある。
子育てが困難な時代はこれまでにもたくさんあった。 育ち盛りの子どもに、3度の食事を充分に与えられない時代もあった。 それまでの価値観が一夜にして代わり、昨日まで大事にしていた教科書を墨で塗りつぶし、新しい思想や価値観を教え込まなければならない時代もあった。 そんな中でも、「親」となった人達はわが子を、他人様に迷惑をかけないで一人前の人間に育てるべく、試行錯誤を繰り返してきたのではなかったか。 人としての最低限の常識や礼儀、価値観は、家庭での「しつけ」。 「私がおなかを傷めて生んだ子ども」の素行や言動の責任は、否応無しにその父母が負ってきたのではなかったか。
子どもの数が減った。 「社会全体で子育てのサポートを」というとき、必ず破綻寸前の年金制度や先の見えない超高齢化社会、日に日に悪化し希望の持てない環境問題など、未来の子供たちが背負っていかなければならない難問をちらちらと横目で見ている大人達がいる。確かに成長途上の子供達はいつの時代にも未来を担う希望の星には違いない。 けれども、だからと言って親は子育ての責任や労苦を社会全体で支えてくれる事を期待して、親としての責務を丸投げしてしまってよいのだろうか。
「公園の遊具で子どもが怪我をした。」 子どもの生活圏の安全を確認せず、危険な遊びをしないという分別を教え込まなかった親の責任を問わないのはなぜか。 「子どもがいじめを苦に自殺した。」 人のいやがる事をしない、命を大事にするという人として最低限のモラルをしっかり育て上げる事の出来なかった親の怠慢を責める声があがらないのはなぜか。 「目上の人にもタメぐちを吐く。挨拶が出来ない。ちょっと注意するとキレる若者」 長幼の序を教え、基本的な礼儀やマナーを身に着けさせるのは、学校教育以前の幼い子どもたちへの家庭でのしつけの問題ではなかったか。 何かというと、学校や社会の責任を問う「子育てサポート」は、どこかで親としての責任や負担を軽んじ、子育て世代の決意を甘やかしている。 「自分の子どもは親が責任を持って管理し、責任を持って育てなさい。 ちゃんと育てなきゃ、ダメじゃないの!」 と叱る大人はいないのか。 少子化社会の本当に怖いところは、甘やかされた子育て世代の家庭での教育力の低下ではないかとこの頃とみに思う。 月の輪通信
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