月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
先日のこと、HSFのお種箱がまわってきた。 うちにある不用の種子を封筒に入れて会員の間を回覧し、自分に必要な種子を頂いて、次の会員に回す。 我が家の庭で取れた種子が、日本全国を旅してどこかの庭で花開く。 誰かの庭の見知らぬ種が、我が家の庭で発芽する。 数ヶ月に一度まわってくる種袋をわくわくしながら待つという楽しいこの企画は、ネットの世界にデビューしてまもない頃、はじめて見知らぬ誰かと繋がることの楽しみを私に教えてくれた。 誰かの善意で入れられた沢山の種子をテーブルの上に広げ、分けていただく種子を選ぶ。 実家の庭で咲いていたニチニチソウ、去年蒔き損ねた矢車草、そして英語で書かれた名前だけしかわからない見知らぬ草花。 自分ではこれまで育てたことのない花や、見たことのない野菜の種と出会える事もまた、「お種箱」が教えてくれた庭仕事の愉しみの一つである。
唐突だが、 子どもを育てると言うことは、見知らぬ種を蒔いて育てる作業に似ている。 どんな花が咲くのか、どんな果実が実るのか、見当もつかない一粒の種を蒔く。 はじめは、当たり前に種を蒔き、水や肥料を与えて、花開くときを待つ。 日向に置いてやるのががいいのか、木漏れ日の下に囲ってやるのがいいのか。 たくさん水を欲しがるのか、乾燥気味の土でいじめて育ててやるのがいいのか。 害虫がついたらおろおろと薬剤を撒き、元気がなければ鉢の置き場所を替えてみたり・・・。 その植物にあったマニュアルがあるわけではないので、すべては植物のご機嫌を見ながらの手探りの作業。 涙、涙で間引いてみたり、倒れた枝には杖で支えたり・・・。 「きっと美しい花が咲くはず。」 「きっと甘い果実が成るはず。」 人はその小さな一粒の種の中にどんな未来が眠っているのか、何の予想もできないはずなのに、いつか咲く花、いつか実る果実のために何度も何度も試行錯誤を繰り返す。
あの種の中には、本当にそんなに暗い「殺意」という毒が眠っていたのだろうか。 そして、この種の中には、本当にそんなに冷たい「孤独」やら「挫折感」という躓きが眠っていたのだろうか。 また別のあの種には、誰にも負けない「強さ」や人をいたわる優しい香りが眠っているのだろうか。 私の手元で育つ子ども達、公園で笑いさざめくあの子ども達、そして髪を赤く染めて繁華街で群れるあの子どもたちのどこに何が潜んでいるのだろう。
オニイが少し、変わって来た。 「今度こそホントに大丈夫」かもしれない。 子どもというのは、本当に見るも鮮やかに変身できるのがいい。 少し前の凹んだオニイと、昨日今日の元気になったオニイは声もしぐさも目つきも違う。 多分また一つ、何かを乗り越えてくれたのだろう。 肥料をやったのがよかったのか、水を控えたのがよかったのか、鉢の置き場を替えたのがよかったのか、それとも何もしなくてもそろそろ快復する時期だったのか。 とにかくあっけなく、ここ三日、オニイは普通に学校に通っている。 バクバクとご飯を食べ、長いトイレの回数も減った。。 何より明るい顔で自転車をすっ飛ばして登校していく。 「何なの、これはいったい??」と久しぶりに子ども達が誰もいない朝のリビングでぼんやりと新聞を開く。 取りあえず学校へ行けるようになってよかった。
どこか虚脱した思いで、佐世保のつらい事件の記事を読む。 普通に過ごしていた普通の少女達。 そのどこに、暗い死の運命や信じられないほどあっけない殺人の意志が隠されていたのだろう。 いつも元気に兄弟達を叱り、たわいない会話で笑いこけていたオニイの中に深い孤独が眠っていたことを私は知ってはいなかった。 おちゃらけて、食いしん坊の人懐っこいゲンの中に、雨傘をへし折ってしまうほどの怒りのパワーが眠っていることも私は知ってはいなかった。 子どもの心と言う深い深い迷宮にどんな想いが眠っているのか、私にはどんどんわからなくなる。 今の私にわかるのは、どの子も私が種を蒔いて育てた子。 どんな花が咲くのか、どんな果実が実るのか、判らぬままに育てていく。 右往左往、試行錯誤の子育ての日々は、見知らぬ種を蒔く愉しみに似ている。 思いがけない感動や喜びは、何時までも拙い初心者ガーデナーである母への天からのお駄賃かも知れない。
・・・私信・・・ 「人間失格」を読みたいと話してくれたあなた。 私の日記を読んで、きっと心配しながら、 オニイの事を見ていてくださったのですね。 ありがとう。 あなたのような人の存在が、私にはとてもありがたかった。 月の輪通信
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