月の輪通信 日々の想い
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2004年06月01日(火) |
4分の1の母 4倍の母 |
先日からのオニイの過敏性腸症候群がまだうだうだと続いていて、 PTAの委員会や茶会の後始末、溜まった家事やメールの整理、 振り込みや急ぎの買い物など、次から次へと用事が続く。 プール前の検診で、耳鼻科だの皮膚科だの眼科だの「治さないとプールへ入れてあげませんよ。」のお手紙を子供たちが次々に持ってかえってくる。 稽古事や遊びの約束の間を縫って、それぞれの子どもをそれぞれの病院へ受診させるスケジュールだけでも一苦労。 雑事の合間に頭を悩ませるのは、まだまだ一喜一憂の状態で学校を休んだり早退したりしているオニイのこと。 暇さえあれば父さんと額を突き合わせ、凹んだ表情のオニイを眺めてため息を吐く。 気もそぞろで行う気合の入らない家事では、夕食は一皿メニューになり、アプコが名札を忘れたり、給食ナプキンのアイロンがけが間に合わなかったり、学校からの通信のチェックを忘れたり。 だめだめ母だなぁと思いつつ、他の3人の子供たちに充分に心を配ることができなくて、それでも、不満気な顔を見せず、遠巻きに母のいらいらを見守っている子どもたちに却って腹を立てたりする。 昨日はついにアプコの園バスのお迎えを忘れた。 到着時間になっても私が迎えに来ないので、お友達のKちゃんのお母さんがアプコを一緒に引き取って連れてかえって来てくれた。
自分の分身がほしいなぁと思うことがある。 子ども達のこと、父さんのこと、私自身の役割のこと、たくさんたくさん処理しなければならないことが溜まっていて、その一つ一つに充分心を込めることができない。両の耳で二つの訴えを同時に聞き届けた聖徳太子や千の手で民を救った観音様の超能力が欲しいと切実に思う。 「4人の子育ては、外から見てるよりずっと楽よ。」とはいいつつも、 誰かが病気になったりトラブルがあったりしていると、どうしても母としての私の心はその子ばかりに集中して、他の子達がつまらない想いをする。 この子らが一人っ子だったら、二人っ子だったら、もっともっと余裕を持って一人一人に気持ちを配ってやれただろうにと歯がゆい想いがいつもよぎる。 今朝、アプコが「お腹がいたいからお休みしたい」とぐずった。 甘えんぼなのだとすぐに分かる。昨日お迎えをすっぽかされて、この間は忙しいからとKちゃんとの遊びの約束をキャンセルした。なんだかお母さんの心が全部オニイに取られている感じ。そんなアプコの不満気な表情が一目で見える。 ほんとはアユコだってゲンだって、オニイのことを心配しながらも父さん母さんの心が少ししか自分達に注がれていないことを感じているに違いない。 情けないなぁ、4児の母。 「じゃあね、今日は後からお母さんが来るまで園まで送っていくことにするよ。帰りも車でお迎えに行くから、一緒にお買い物へ行こう。」 幼いアプコはそれでもまだまだ、こんな取るに足らないことでご機嫌が取れる。 でも、アユコは?ゲンは?
昔、次女のなるみの病状がいよいよ悪くなって別れの覚悟をしなければならなくなったとき、混乱して取り乱しそうになる私に実家の父が言った。 「お前はなるちゃんだけの母ではない。4人の子供の母なんだぞ。 かわいそうだがなるちゃんはおまえにとって4分の1の子どもだ。 後の3人の子達のためにしっかりしなさい。」 「4分の1の子ども」 4人だからって、愛情は4分の1になる訳じゃないと思いつつ、どこかで心の配分を4人にまんべんなく配ってやらなければと焦る心。 「4倍の愛情」で、一人一人を大事にしたいと思いつつ、トラブルに落ち込むと私のキャパシティーは一つのことでぎりぎりで、他の誰かは余分の我慢を強いることになる。 「おかあさん、大丈夫?」といいつつも、おずおずと擦り寄ってきて、母の注目を引こうとする子ども達。 いつでもみんなどこかで「4倍の母」を求めているんだろうなぁ。 心も体も等しく備えた優秀な分身が欲しいと再び思う。
「おかあさん、こっちむいて」としきりにシグナルを送ってくる子ども達の一人一人をいとしいと思う。 「4倍の愛」で包んでやりたいと思う。 物や時間は4分の1ずつしか与えられないかも知れないけれど、私は確かに子ども達から4倍の喜びを与えられている。 4倍か4分の1か。 母の心の掛け算割り算は、なんだかいつも答えが合わない。 申し訳ない。
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