月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
晴れやかな初夏の1日, 私はまた一つ年齢を重ねた。 父さんがいつものように,こそこそっと仕事の合間にこしらえた手製の陶のバレッタを贈ってくれた。 子ども達は数日前に,駅前の出店で買ってきた鉢植えの草花を贈ってくれた。 この前、実家の母が「今年はピンクのマーガレットを植えてみたよ。」といっているのをきいて、「あ、いいな、うちにも一株欲しいな。」と洩らしたのを誰かが聞いていたのだろうか。たくさんつぼみをつけたマーガレットは、これから幾日も可憐な花を楽しませてくれるだろう。 「もう、みんなで祝ってもらうほどおめでたい年齢ではなくなったよ。」 といいながらも、今年も晴れやかな青空のまぶしい日に,新しい年齢を重ねられることが、なんとなく嬉しい。 私は自分の誕生日のある、緑あふれるさわやかな5月が大好きだ。
「誕生日、おめでとう。」 珍しく朝から、実家の母が電話をくれた。 「ありがとう、私を産んでくれて・・・。お父さんにも『つくってくれてありがとう』と言っておいてね。」 母からの「おめでとう」への答えは「ありがとう」と決っている。 毎日毎日、一人前に育った顔をして、母として妻として、そして女としての日常を過ごしているけれど、あの人達の暖かいはぐくみがあってこその今の私。 子どもたちの親となって、はじめて気付いた親の想い。 「誕生日、ありがとう。」 この言葉を照れずに口にすることができるようになったのは、ほんの数年前のことだ。
41歳になった。 去年の5月、「ついに私も40代か」となんだか憂鬱に思うことが多かった。 今年5月、私の身の回りの状況は去年の5月よりもずっと厳しい。 子どもたちのこと、父さんのこと、仕事のこと、そして、自分自身の生き方のこと。 あれやこれやと思い悩んで、うっと胸が詰まるようなことや、「やーめた」と投げ出してしまいたくなることをいくつもいくつも抱えている。 それでもなお、41歳は40歳よりも生き易いのではないかと言う気がしている。 40代の自分がようやく自分のものになり、悪あがきをせずにすんなりと今の自分を受け入れる。 そんな安心感が41歳の誕生日の晴天をこれほど愛しく感じさせてくれるのではないだろうか。 「大丈夫、それでもお日様は今日も私を照らしてくれる。」 新緑あふれる5月の陽光は、四十女のうじうじと続く憂鬱をカラリと照らして、パンパンと埃を払う。 うるわしき5月。 私を5月に産んでくれてありがとう。
「みんなで祝ってもらうようなおめでたい年齢じゃなくなったよ。」 でも、私は自分自身の41才の5月を祝う。 誕生日、ありがとう。
|