月の輪通信 日々の想い
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2004年05月24日(月) 外から見ると

オニイ、快復中。
先週いっぱい,中間テストをはさんで,「少し,遅刻」とか、「少し早退」しながらも何とかかんとか学校へ通える様になったオニイ。
相変わらず,腹痛は残っていて,日に何回かは長〜いトイレタイムがあるようだが,気持ちの方はずいぶん晴れやかになり、表情もよくなってきた。
過敏性腸症候群と言うやつは,結構長期間症状が続くことが多いという。原因となったストレスがある程度解消しても、体の症状は後に残るものなのだろうか。
どちらにしても、オニイはまた一山超えたようである。
今朝は定時に出かけていって、部活まで済ませて帰ってきた。
また休む日もあるだろうし,それはそれでよし。
長いトイレに入るときには「来た来た来た,誰かトイレ行くやつおらんか?入るぞ」と兄弟達に呼びかけ、急ぎの人を先に入れてやる知恵がついた。
おなかにガスがたまってっかいおならをするときも、「ごめんよ。」と笑っている。
何時までも残る症状との付き合い方を彼なりに学習してきたようだ。

今度のことで,オニイのストレスの原因についていろんな人の考えを聞いた。
誰かのいじめ?
新しいクラスの中での疎外感?
「赤信号を渡らない」生真面目さ?
自分にも他人にも「正しい」を要求する思春期の厳格さ?
4人兄弟の長兄としての、責任感?
窯元の後継ぎとしてのプレッシャー?
いろんな人が日頃のオニイが見せる言動や、家庭環境からいろんなストレスの原因を推測してくれた。
トイレから出てこない青い顔のオニイをおろおろと見守るだけのよわよわの母にとっては、他人から指摘されるオニイの弱点は「それぞれごもっとも」で、私達のこれまでの子育てのどこかが間違っていたのではないかと疑心暗鬼の穴に落ちた。
長男であるオニイに期待もしている。
心優しきオニイいは母の思惑を何時も推し量って,期待に応えてくれようとする。
少々のいじめにあっても、心の根っこはつぶされない。
そんなオニイへの信頼が、却って彼のプレッシャーになったのではないかといわれるとぐうの音も出ない。

スクールカウンセラーと言うおばさんにも会った。
初対面の私から、彼女はまず家庭環境を訊いた。
4人兄弟の第1子であること。生真面目で,これまでいじめの被害に遭ったことがあること。自分にも他人にも,正しいことを期待する正義感が強くなってきたこと。
ちょこちょことメモしながら私の話をうんぬんとうなづいて聴くカウンセラーの態度に「ああ、カウンセラーの定石にはまったな。」と感じた。
彼女は、後から連れて入った色白でひょろりと痩せためがねのオニイをみて、理屈っぽい物言いや、美術や読書、パソコンが好きと言う話を聴いて,担任の先生から「窯元の跡取息子」と言う情報を得ると,嬉しそうな顔をした。
「両親の過大な期待を受けて,まじめなよい子を続けてきたナイーブな少年。
将来の進路や長子として期待されているものへのストレスが、思春期の少年の心と体のバランスを崩させた。」
まさにこの年代の少年のカウンセリングでは、教科書どおりの素材とうつったにちがいない。
若い時に少しカウンセリングの勉強をかじった私には,「あ、この話題にはきっと食いつくぞ。」とカウンセラー先生の次の一手がよく見えてきた。
凹んだ気持ちの私には,彼女が指摘するオニイの葛藤には一つ一つ思い当たるフシもあるのだけれど、それでもなんだか彼女が教科書どおりの型にはめてオニイの事を診断しようとしているのが感じられる。
それと同時に,外見や日頃の言動,生育した家庭環境や周囲の状況から見ると,オニイと人物はそういう少年にみえていたのだなぁとよくわかった。

「お仕事のことで、彼と弟さんを競わせるようなことをしませんでしたか。」
と訊く人もあった。弟と将来、どちらが家業を継ぐかと言うことが、オニイのストレスの原因ではないかと疑っている様だった。
そんな馬鹿なこと,するわけがないじゃないの。
「『お兄ちゃんだから』と我慢させることが多かったんじゃないですか。」と言う人もあった。とんでもない。幼い頃から、どんなに気をつけて私がその言葉を使わない子育てをしようと気を配ってきたことか。
「まじめで几帳面ないい子を演じるのにくたびれたんじゃないですか。」
何が几帳面なもんかい。机もかばんの中もいまだにぐっしゃぐしゃ。だらだらと気を抜きまくっているオニイに,「いい子」を演じようと言う自覚なんてあるもんか。

少し元気が出てきた今だからこそ,こうして一つ一つ、ばさばさと斬り返すこともできるのだけれど,弱気の時にはそんな指摘にいちいち胸を突かれた。
「お母さんの育て方になにか問題があったのかしらん。」
何度も何度も、オニイ本人に訊いてみたい衝動にかられた。
「いったい君のストレスの原因って何なんだろう。」
実際,何度も何度もオニイに訊いてみた。
「カウンセラーの先生の言うことも,他の先生達が言ってることも,あんまりあたっている様には思えないよ。」
弱気の母を思い遣ってか,本当に見当がつかないのか、オニイ自身は他人が勝手に推測してくれた自分のストレスの原因をすんなり、「その通りです。」とはいわなかった。多分,自分自身の本当の気持ちは、担任の先生や友達や,ましてや初対面のカウンセラーのおばさんにあっさり、解釈がつけられるものではないということがよくわかっているのだろう。
かえって、よその誰かさんに指摘されたことでいちいち心を震わせている母の弱気を叱咤しているようなオニイの発言。
この頑固な強さがある限り,私はっともっとオニイ自身の力を信じてもいいのではないかと思えるようになった。

一人の人間をそのプロフィールや,外見からある種の型にはめて推し量ってしまうのは日々の生活の中でありがちなことではある。
「子沢山の母は、子ども好きに違いない」とか、「バリバリキャリアウーマンの母を持つ子は,夕飯にレトルトカレーを一人で食べていそう」とか、「父親不在の家庭に育った子はうんと年上の男性に惹かれやすい」とか、いかにもありそうで実際には「余計なお世話よ。」って思ってしまいそうな思いこみって確かにあるある。
でも人間と言うのは型(パターン)ではなくて,やっぱり一人一人なんだ。
母である私は,せめてオニイはオニイとして,「丸ごと一人」を見てやらなければならないのだなと言うことが、改めて心に浮かぶ。
誰かの憶測に右往左往することはない。
私が見ているのは、ずぼらだけど生真面目、心優しくおっとりのんびり屋のこの少年。大事な大事な我が息子。
そう思えたとき,私はオニイのストレスの原因探しをするのをやめた。
オニイがオニイ自身で心の整理をつけていくのを、カラッと笑って見ていてやっても大丈夫だと思えるようになった。
それだけの力はきっと彼の中に育っているはずだ。

「信じて待つ」と言うことの意味がようやく少し、わかってきたような気がする。


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