月の輪通信 日々の想い
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2004年04月09日(金) 当たりはずれ

新学期が始まり、「誰といっしょのクラス?」「どんな先生?」と質疑応答の会話が増えた。
何せ、我が家は4人分。
小学生組は去年の持ち上がりクラスだし、オニイとアユコは去年の先生がそのまま今年も受け持ってくださることになっている。
アプコは年長さんになり、ころころとよく笑う中堅どころのかわいい先生のクラスになった。
まあ、おおむね「当たり」の一年になりそうだ。

この時期よそのお母さん達と出会うと必ず、「今年はどうよ?」と子供達の担任の話で盛り上がる。
「うちは大当たり」
「うちははずれかも・・・」
卑しくも一年間我が子の面倒を見て下さる先生に「当たり」「はずれ」は失礼千万な話だとは思うけれども、それでも先生達の技量や人柄で子供達の一年間の生活は大きく変わる。
ふたを開けてみたら、評判のよい先生で「わ、ラッキー!」
なんとなく悪いうわさを聞く先生だと、「げ、どうしよう」
そして前評判を知らない先生だと、「ねえねえ、○○先生ってどんな人?」
親の関心はどこまでも尽きない。
これほどあからさまにその仕事振りが「当たり」「はずれ」と断定的に評価される教師という職業は大変だなぁと思う。
4月当初に「あ、○○先生?はずれかも・・・」なんて自分が評価されているのを小耳に挟んだりしたら、あたしだったら凹んで「職場放棄」しちゃうかも・・・なんていらぬ心配をしたりする。

他人から自分のことを面と向かって「当たり」か「はずれ」かで評価される機会は、大人になるとぐんと少なくなる。
その代わり、「私はこの人にとって『当たり』の妻だろうか」
「私は『はずれ』の母ではないだろうか。」
と自らの当たりはずれを自分で評価することが多くなった。
そしてその判断の基準は年々甘くなる。
主婦として母として、そして女として積み重ねた時間を判断基準のかさ上げに使って、「それでも何とかやってきたのよ」と今の自分にあぐらをかく。
新しい自分を見つけることが大儀になる。
「相変わらず」の自分を無自覚のまま肯定する。
だめだなぁ、この年齢から「定位置」に安住してしまっては・・・
4月になるたび、新しいドアを開け、未知の世界へ踏み出していく子供らの背を見ながら、自らの停滞を恥じてはうめく。

「さあ、新学期!」の新鮮な気持ち。
「何か新しいことを始めよう!」と立ち上がるきっかけの言葉。
「当たり!」「・・・はずれ。」と新しい人との出会いにワクワクする気持ち。
大人になって、自分では持つことが難しくなった旅立ちの季節を、子供達の新学期に相乗りして今年も味わう。

「ねぇねぇ、今日はどうだった?」
とうるさく問いかける母に、ついにオニイが「もう、いいよ、その話題は・・・」と辟易して言った。
オニイにはオニイなりの新学期の悩みもあるのだろうか。
今年一年の当たりはずれ。
じっくり一年かけて見極めて欲しい。


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