月の輪通信 日々の想い
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2004年03月30日(火) 知らなかったのも罪

国際派女優の島田楊子が無免許運転の疑いというニュース。
外国で取得した国際免許の手続き上の無知から、結果的に「無免許」状態だったのだろうとワイドショーで解説していた。
その番組の中で、ある弁護士さんが「法律を知らなかったからといってそれにより責任を免れる事はできない」とおっしゃっていた。
刑法の中にそういう条文があるのだそうだ。
当たり前といえば当たり前のことだが、そのことが法律に明記されていることなのだということを始めて知った。

ところで、江角マキ子。
自分が国民年金に加入していない状態であることを知らなかったのだそうだ。
ささやかな家計の中から確実に引き落とされ、何らかの理由で少しでも遅れると「督促状」が送られてくることを知っている者からすると、「何、のんきなこと、言ってるの」という無知だけれど、TVで見る限り、「知らなかったんなら仕方がないわねぇ。」と江角マキ子に同情的な意見を述べる人たちが意外に多かったのに驚いた。
「年金未加入」が罪になるのかどうかは知らないけれど、自分の年金の状態を確認もせずに偉そうに未加入者をたしなめるCMに出演した彼女を「かわいそう」とは思えない。
「知らなかった」のも罪である。

再び、先日のメール事件。
「子供達がパソコンを使ってそんな高度ないたずらが出来るとは知らなかった。」
「私はパソコンがよくわからないから、子供達が何をしているか把握できなかった。」
ネットの世界に踏み込むと、子供達は親の知らない知識や技術を良いことも悪いことも文字通り手当たり次第に身に付けてくる。
自分の得た知識を悪いことに使わない。
人を傷つけるようなことは絶対しない。
そんな基本的なことを身に付けないうちに、パソコンという道具を野放しの状態で子供に与えることは、やはり親としては罪である。
「知らなかった」では言い訳できない。そう思う。

回転ドアで死亡した男の子。
たかが建物への出入りに「命がけ」の危険を伴う大掛かりな装置を取り付けて、小さな命の重さをないがしろにしたビル会社やメーカーの責任は重い。
そして本当は、そんな危険の可能性もあるドアへの進入に幼い子の手を離してしまった母親にも責任の一端はある。
子供を不慮の事故で亡くし、悲嘆にくれている母親に面と向かって「あなたにも責任はある」と詰るつもりはない。
けれども、「回転ドアがそんなに危険なものであるとは知らなかった」とはいえ、人の往来の激しい出入り口で、はしゃぐ子供の手をふっと離したその油断が取り返しのつかない事故の発端になったことも確かだ。

確かに子供達はとっさに思いがけないことをする。
エスカレーターで転んだり、転がったボールを追って車道へ飛び出したり・・・。
わが子に思いがけなく降り注ぐ危険にヒヤッとする経験は誰にもあるはずだ。
「四六時中、子供の動きを見張っていることなんて出来ないわ。」
確かにそう。いつも手をつないで歩く道のりも、いつかは手を離して一人で
歩かせなければならないときがくる。
実際、「一人で行かせて大丈夫かな。」と思いつつ「気をつけて行っておいで」と子供を送り出す日もいつかは来るものだ。
それでもやっぱり「危険なところで走っては駄目。」「知らないところでは手をつなごう」と子供に言い聞かせることが出来なかったのは、結果として母親の責任とも言えるだろう。

「大丈夫かな」とわずかな不安を覚えつつ、少しづつ引き綱の距離を伸ばし、子供達が自由に行動する範囲を広げていく。
それは子育ての中でとても難しい「子離れ」の過程ではあるけれど、親から離れた子供達の行動や言動にはまだまだ親の責任が伴う。
「子供達が成長して、外で何をしているか把握するのが難しいわ。」
親の把握できないところで、子供が思いがけない非行に走ったり、人を傷つけるような言動を取ったりしたら、それはやっぱり親の責任。

何をしでかすか知れない子供達を「大丈夫かな」と思いつつ世に放つ。
それまでに子供達に与えたしつけや知識が、子供達を守ってくれると信じつつ。それは子供達の行動や言動にすべて親が責任を持つということ。
「そんな危険は予測できなかった」
「そんな悪事をしでかすとは思いもつかなかった」
ことが起こってしまったとき、そんな言い訳は通らない。
「知らなかったのも罪」
育児とは厳しく、重たい事業である。


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